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2006年6月28日 (水)

フラッタ・リンツ・ライフ

6月26日(誤認してました。25日だったらしい(汗) )は、
森博嗣の『スカイ・クロラ』シリーズ最新作の発売日でした。
空色、茜色、灰色ときて、4作目の『フラッタ・リンツ・ライフ』は
何色の雲海で表紙を埋めるのだろう、と期待しながら書店に向かいました。

正解は、紫色。

ジミ・ヘンドリクスのパープルヘイズが、脳内で自動再生されるような紫色。そして、何日かかけて読了し、全く期待を裏切ることのない出来に舌を巻いているところです。

今回のベストシーンは、p78〜79。
戦闘機の格納庫の天井に引っかかった模型飛行機に気づいて取りはずしたクリタが、その飛行機を飛ばそうとプロペラのゴムを巻くところ。「子供の頃は、ちゃんと数を数えてゴムを捲いたのに、どうしてこんないい加減な人間になってしまったのだろう」と思うところから、p79最後の行、「どうして、こんな良い子なんだ?」と思うところまで。

最高に良いシーンです。もちろんそれは、この2ページを引用してみせてもわからないたぐいの——『スカイ・クロラ』シリーズの既刊3冊を読み、この『フラッタ・リンツ・ライフ』を読んで、はじめてしみてくる良さなのです。

……と、言うからには、ちょっとシリーズについて説明しなくてはなりませんね。

『スカイ・クロラ』シリーズは、出版社の解説によれば「戦争を仕事にしなくては生きられない子供たちの寓話」とあります。もちろんそれは正しい説明なのですが、実際に読み進めていくと、じつは「戦争でなければ死ねない子供たちの寓話」でもあると気づかされるのです。

戦争が国家を離れたショーと化し、民間企業が代行して戦闘機による空中戦を行う世界。そこでパイロットとして登用されている子供「キルドレ」は、歳をとりません。時間制限をまぬがれた命を手にしている……というより、背負わされている者たちが選択するのは、殺さなければ殺されるかもしれない戦闘機乗りという職業なのです。

不老の存在が生の実感を感じられるのが、いつ墜とされるともしれない空を飛んでいる時だけだ、というのは、普通人の僕にもなんとなく想像がつきます。それは不死ではない僕らにも、自分が何に傷つくのかを知らない(怖い物知らずな)子供時代があったからだと思います。

 恐ろしいものの形を
 ノートに描いてみなさい
 そこに描けないものが
 君たちを殺すだろう

 (「吹雪」作詞・曲:中島みゆき)

そう、こんな歌もありました。
自分の死の形を死の直前まで知ることができないのは一つの真理です。

たとえば、望むもの全てを当然のように手に入れてきた美しく利発な少女が、たった一度の失恋で自我を崩壊させてしまうようなことも「死」の一種でしょう。

自分自身が「望まれないもの」とされたとき、それまでの彼女にとって人生の「視野外」であり「存在しない場所」だったところに突き落とされてしまうわけです。ほんとうに命を落とすわけではないけれども、人はそれも「死」と呼びます。心の死、社会的な死……死にながら生きてかなければならない死。

そんな「死」の存在を知らずにいられるうちなら、僕らは不死の子供でいられるような気がします。実年齢とはかかわりなく。

『スカイ・クロラ』文中に、キルドレのパイロットが同じ空気を漂わせる者に「怒っているようにも、喜んでいるようにも、見えない。感情がない、感情のスイッチを切っている、そんな様子だ。やっぱり、同じ種族。僕たちは、そういう人間、そういう子供なのだ。でも、仲間に出会えて嬉しい、といった感情でさえ、僕たちにはないのだから、つまり無意味。理屈がさきにあって、その理屈で感情がある振りをする。ずっとそうしてきた、子供のときから。」という場面があります。

もしその描写をまるごと信じるなら、彼には子供時代がない、と言えるでしょう。

僕が思うに、許される限りわがままをつくすのが子供で、たしなめる者がいなくても自分を律する基準を超えないのが大人です。キルドレの感情には生まれながらのリミッターがかかっているようで、つまり彼らは「子供=キルドレ」という呼び名とは逆に、最初から大人なわけです。

ところで本来のリミッターとは、エンジンが回りすぎて壊れないよう、回転数に制限を掛ける装置の名前で、機械にとっては故障せずに空を舞い続けるための実用性をもった装置です。しかし、人間は感情にリミッターをかけたからといって、しがらみだらけの社会を故障せずに泳ぎきれるとは限りません。

そんな複雑な人間関係のなかで、相手の真意が計れず疲れ果ててしまった時など、機械的な「正解のある」明快さに憧れてしまうこともあるでしょう。——そんな時こそ、この『スカイ・クロラ』シリーズのページをめくるタイミングとしてはうってつけかもしれません。


 森博嗣『スカイ・クロラ』シリーズ

 『スカイ・クロラ』
 『ナ・バ・テア』
 『ダウン・ツ・ヘヴン』
 『フラッタ・リンツ・ライフ』(すべて 中央公論新社 刊)

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2006年6月25日 (日)

バイクのブレーキパッド交換

Brake01
愛車ボンネビルT100(走行距離6181km)を磨いていて、リアブレーキのパッドが、2ミリくらいの厚さまで減っているのに気づきました。そろそろ交換しないとマズイです。

Brake02
大泉のバイク用品店「NAP'S」まで走って、ブレーキパッドを買ってきました。(ついでに……新しいヘルメットまでうっかり衝動買い(汗) )

ちなみにトライアンフ・ボンネビルT100の対応パッドは、入手しやすいRKの製品だと フロント・RK-814 UA7 / リア・RK-832 UA7 です。どちらもNAP'Sでは4,536円でした。

この UA7よりハイグレードなパッドもあるのですが、パッドが暖まらないと真価が発揮されないレース対応タイプなので、通常走行しかしない僕は中間グレードの UA7を選びました。

Brake03
棒ヤスリでパッドの面取りをしておきます。
必須の作業ではないですが、ディスクとのなじみが早くなります。

Brake04
リアのブレーキ・キャリパーを外します。矢印のボルト(14mm)2本でマウントされています。

Brake05
外れました。ブレーキ・ダストで真っ黒です。

Brake06
パッドを外すために、矢印のスライドピン2本を外します。ちなみに、このピンはかなり固く締められているので、キャリパーを車体から外す前に1回転だけゆるめておいたほうが後の作業がやりやすいです。

ちなみに僕はゆるめておくのを忘れて、そのためだけにもう一回キャリパーをつけなおしました(←まぬけ)

Brake07
ねじの手応えがなくなったところでスライドピンを引き抜くと、パッドが外れます。新しいパッド(銀色のほう)と比べてみます。パッドが減って3本入っているミゾがなくなってますね。こうなったらもうすぐにでも交換しなくてはなりません。でも、見たところ、普通の走り方ならあと1000キロくらい行けそうです。

Brake08
ブレーキクリーナを吹いてキャリパーとスライドピンのダストを落とし、ピンにはグリスを塗ります。新しいパッドをキャリパーにはめ、パッドのガイド穴を貫通するようにスライドピンをねじこみ、しっかり締めつけます。

新品の厚みに戻ったので、パッド間のすきまが減少しています。このままではディスクを挟めないので、マイナスドライバーで慎重にパッド間を押し広げたのち、車体に組みつけます。

そして最後にブレーキペダルを何度も踏んで、パッドを押し広げてできた遊びをなくしておきます。これを忘れると、一発目のブレーキが効かないので大変危険です!

作業後各所点検したら、リアタイヤの空気圧が1.9バールまで落ちていたので、手動の空気入れをシュコシュコと動かして2.5バールまで上げておきました。その後近所を試走してみたのですが、はっきり判るくらい走りが軽快になってびっくりです。

タイヤの空気圧はじわじわ落ちてくるので、少しずつ鈍重になっていくのに慣らされていたのでしょう。——感覚に頼らず、計器による空気圧チェックも習慣づけるべきですね(汗)

以上、日曜バイクメンテナンス記でした〜


注)油圧式ディスクブレーキは単純な(それゆえ信頼性のある)メカニズムで、パッド交換に関しては、さほど難しいところはありません。しかし、命にかかわる部分だけに、自信のない方はバイク屋にまかせるのが無難です。

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2006年6月23日 (金)

シュレーディンガーの猫的W杯

昨日は夜7時からの会議があって——たいていこの時間の会議には夕食がつくのですが——カツ丼が出ました。

12時間後には決着がつくはずの
W杯・日本 vs ブラジル戦勝利の願掛けだという噂(笑)

で、
帰宅してから目覚ましもかけずに横になってしまったので
気づいたら朝の7時でした。

つまりこれは量子論でいうところの
観測が現実を決定するという概念に一石を投じる
シュレーディンガーの猫」状態。

僕がテレビをつけて朝のニュースを見るまで
日本の勝敗は決まっていないわけです。

「まだ知らない」んじゃなくて
テレビを見ることで「勝敗の状態が変化する」のが量子論的見方。

というけでこれから観測しますよ。

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2006年6月22日 (木)

今年の前期課題は「記憶と記録」ですが

文芸特殊講義IX・去年の前期課題、
「模造記憶」の全員講評をWeb公開しました。
(Web公開にあたって学生氏名をイニシャルにして伏せてあります)

←サイドバーに〈特設ページ〉項目を作りましたので、
 そこから飛んでください。

今年の前期課題

「記憶と記録」をテーマにしたテキスト表現。

(ショートストーリー、エッセイ、詩など、形式は問わない。
 紙の平面上に収まるものであればビジュアルを含めた作品も可)

……からそれほど遠くないテーマなので、どこまで発想を拡げていいのか?——の参考になるかと思います。

ちなみに明日の文芸特殊講義IXですが、
先週「記憶と記録」の領域へ入り込む作品として「serial experiments lain」を見せ始めると予告しましたが……すいません!

先週の「攻殻機動隊」から派生して、
現代日本の戦争への関わり方を、
曲芸的に「YouTube」問題につなげて講義するために、
意外なものを見せます。

 1941年のアメリカ製アニメと
 155話続いた、ある日本アニメの最終回。

後者はすぐピンとくるツワモノがいるかもしれません(汗)

では明日教室でお会いしましょう〜

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2006年6月 7日 (水)

挑戦者のままに… 前田淳の死を悼む

イギリスにある、淡路島ほどの小さな島・マン島
そこで100年近い昔から続く、
世界最大にして最古の公道二輪レース「マン島TT」

普段島民が使っている生活道路をクローズして使用するため、サーキットとは比べ物にならないほど危険なコースとなります。転んだら、即、立ち木や民家の壁に激突、といっても過言ではありません。現在は市販車ベースのバイクが使われていますが、100年前ならいざ知らず、市販車でありながら時速250kmを叩きだす最近のスーパースポーツバイクにとって、マン島はますます「超高速で針の穴を通すような」困難さを極めつつあります。

【動画】Isle of Mann TT 2005(レースの概観)
http://www.youtube.com/watch?v=qF-JjtA-eUA

しかし、だからこそ、人は魅せられてしまうのでしょう。
事故って痛い目にあってもバイクを降りられない自分も
その悪魔の囁きに耳を塞ぐことができない人間の端くれでしょうから。

端くれ、と自分で言ってしまうのは、本当に悪魔と真剣で渡りあわなくてはならない領域まで行ける人の走りを知ってしまったからです。たとえば、次の動画が示すリアルに、自分がヘルメットと革ツナギだけを防具に対峙できるか、という問いに、バイクに乗っている人ほど、沈黙をもって考え込むことになるでしょう

【動画】ISLE OF MAN: CBR1000RR(前田淳の車載カメラ。この動画20分間もありますが、一周60kmのコースをその時間で走りきるということは、平均時速180km、瞬間最高速300kmに達する世界だということを示しています)
http://www.youtube.com/watch?v=_UDrX_3coqM

昨年度6位、今年はマン島TTの公式ポスターにも走る姿が大きく採り上げられた、極東の島国、日本からの挑戦者・前田淳。

生きて帰るのが真の勝者と、「サバイバルライディングテクニック」をバイク雑誌やライディングセミナーで提唱してきた彼が、5月29日マン島TT予選で事故に遭い、一時は手術成功と回復の兆しもつたえられたものの、日本時間6月6日午前 7時16分、マンチェスターの病院で帰らぬ人となってしまいました。

3年前の加藤大治郎の時もそうでしたが
本当に残念でなりません。
速い人ほど死に近い、という言葉を裏切ることができる希有な才能。
それがまたひとつ奪われたやりきれなさでいっぱいです。



【関連サイトリンク】
前田淳参戦記
http://www.mmbc.jp/mmbc/jun/

前田淳選手が所属するエイミングスポーツ

http://www.aimingsports.com/

公道レーサー前田淳氏が、PS2用ゲーム
「TT スーパーバイクス リアルロードレーシング」について語る

http://watch.impress.co.jp/game%2Fdocs/20060510/tt.htm

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2006年6月 6日 (火)

仮想現実ものとズゴックのツッコミの手

天気予報は夕方の雷雨を予想していたので、バイクじゃなく電車で所沢に出校することにしました。駅前の本屋で、学生から薦められたコミック・篠房六郎『ナツノクモ』の1,2巻を買い、電車内読書。

ネットゲームと、オンラインによるカウンセリングを融合させた世界が描写されていきます。けっこう夢中になって、所沢に着くまでに1巻は読了しました。

仮想現実ジャンルにおける、
「ちゃんと現実のほうに生身の肉体がある系」の作品ですね。
リアル肉体の死、キャラクターとしての死、データ消滅、という三つの死の形をちゃんと区別してストーリーに活かしているところがなかなか良い感じです。

一方「生身の肉体は存在しないor眠っている系」といえば、いま放映中の『ゼーガペイン』です。いわゆる日本のロボットアニメなのですが、データのみの存在となってしまった人類が、物理的な現実に干渉するためのマシン(幽霊の乗り物みたいなもの)として巨大戦闘ロボを使っているところが目新しいところです。

『ナツノクモ』と『ゼーガペイン』をアタマのなかで対比させながら、ふと、絵画盗作で最近話題の和田氏のことが浮かびました。和田氏がパクリ元のスーギ氏と一緒に写っている場面はありません。それは日本とイタリアだから、というもっともな理由からですが……

なりきり仮想現実的にいうと、
和田氏はスーギ氏のPC(プレイヤーズキャラクター)で
二人は同一人物だった——という衝撃のオチが一番面白いんじゃ?

で、じつはテレビのワイドショーも
「フェィクギャラリーVer.1.0」とかのネトゲ実況してるだけ。
裏で糸をひいてるのは文化庁。
それに感づいた公安9課が……

……なんておバカなことを妄想してしまいます。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

昼休みにゼミ雑誌ガイダンスを終えてからゼミII。

先週、参考に『村上龍料理小説集』からの抜粋を参考に渡して、
味や匂いや手触りなど、言葉で説明しづらいものを表現せよ
(ショートストーリー、エッセイ、評論など形式は問わない)
というちょっとやっかいな課題を与えたので、

何人やってこれるかな? とヒヤヒヤしていたのですが杞憂でした。

視覚を奪うことによって匂いを際立たせる話や
チョコレートの味から本来ないはずの汗や涙のしょっぱさを透析する詩や
自分を無意識に縛っていた人間に同じ匂いを帯びた人によって気づいた話や
姉的存在の皮肉に苦笑いを返す瞬間に百合の残り香でトリップする話や
『美味しんぼ』と『将太の寿司』にみるウンチク芸とリアクション芸の分析や
目的を限定しない、散歩という行為に匂いを重ねる散文や
言葉にしづらい感触を、文章ではなく漫画で表現してきた人までいました。

いつも思うんですが、
突拍子もない課題を出したとき、意外と答えがかぶらないのがすごい。
こちらが最悪の事態を想定しても、奴らは必ずその斜め上を行くのです(笑)
いい意味で。

H菜さんの漫画で、ツッコミの手がズゴックになってるところに、僕は少々訝りながら(最近偶然にしては周囲にガンダムねたが多すぎる…)と思ったのですが、その部分の作画に特別アシスタントとして「百式Tシャツ」のMさん(6/2のエントリ参照)が招かれていたということで納得しました(笑)

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2006年6月 5日 (月)

今年初めて卒論卒制指導をするわけで

……今日は二日酔い(ダメだなぁ)のダメージを回復しつつゼミIV。
  

僕は今年、初めて担当ゼミから卒業生を出すことになるんですが、卒論企画書のなかに、僕の領域(おなじみのSFやネットコミュニケート領域とは違うほうの)と、かなり接近してるテーマを提示してきた学生がいたので、これは本腰入れて指導しなくては、と身をひきしめました。

——が、今日はもうダメダメなので明日に備えてスイッチオフ。

                ↓↓↓↓↓

【おしらせ】明日、6/6(火)はゼミ誌ガイダンス(所沢)です。
1,2年のゼミ雑誌編集委員は昼休み文芸棟・教室1に集合してください。

 

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2006年6月 4日 (日)

そこ、メタフィクション禁止!

この日曜日は夕方から学生と飲みなのです。
去年、文芸特殊講義IXの授業をとっていたメンツですね。
こないだの授業時間、教室の後ろでハルヒダンス踊ってた不届き者2名(苦笑)も含めた5名で所沢のS藤君宅につめかけて飲むというリアル学生ノリは、さすがに久しく味わってない感覚でした。

「セカチュー」が流行っていた頃、
実習中にナンパ行為をしている学生に対し、ラブコメ禁止の意味をこめて

そこは世界の中心か!? 

とツッコミを入れたことがありましたが、
僕はこの飲み会の席で、新しいツッコミ用語を発明しました。
周囲の目を意識して一線を超えない寸止めのイチャつきっぷりを見せる学生カップルに対し、

そこ、メタフィクション禁止!

つまり、アレです、ビデオなんかのあらゆるラヴシーンにおいて、画面に映っているものを素直に受けとめられる実用的な感性の持ち主には無縁な悩みでしょうが、画面のこちら側にわんさかいるはずのカメラマンや照明さんやヘアメイクさんやカントクさんの存在を常に意識させる企画モノAV的鑑賞眼の持ち主である僕にしてみれば、AVも学生のラブコメwも、そのままメタフィクションの見本みたいなものじゃないですか(笑)

5回は言ったね「( ゚Д゚)そこ!!!メタフィクション禁止!」
メタフィクションの意を解する賢さをもった子たちだからこそ
使えるツッコミで、その点は先生もうれしいぞ(笑)

しかし若いってパワフルだね。
楽しかったので、うっかり終電逃して
タクシー代7800円…( ・ω・)マァイイカ

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2006年6月 2日 (金)

逆襲のシャア

DTP実習を終えたあと、とある学生さんから質問を受け、今日の文芸特殊講義IXの「ロボットが心や意識を持つというのはどういう状態を示すのか」というテーマについて、授業で語りきれなかったことを話していました。

話の流れから、彼女がかなり深いガンダムマニアであることが判明。
去年、僕の授業に「百式Tシャツ」を着てきたのは君だったのだな(笑

「『逆襲のシャア』のクェスはむかつきますよね」
と聞かれて、僕は反射的に
「うんむかつく」
と答え、
「ああ良かった。先生にクェス好きとか言われたらどうしようかと」
と安堵されたのですが……

帰宅してから、家に常備してある『逆襲のシャア』DVDをプレーヤに放りこみ
ひさしぶりに見返してみると……

好き嫌いが行動原理であるクェスのトラブルメーカーっぷりは
やっぱり神経にさわりますが、
ちょっと以前よりは余裕をもって見られるようになりました。

なんというか、クェスって、わがままを許された美しい少女特有の、
筋が通った純粋さを持ち合わせている気がするんですよ、
他人に自分を合わせることを学習すると消えてしまうたぐいの。

ただ、その「わがまま」を、両親が自分たちの不仲や放任してる後ろめたさの「代償」として許しているだけなのがクェスの不幸ですね。わがままだけど「天衣無縫」というには遠い感じがするのはそのせいでしょう。

そして、えてしてそういう人物は自分から向けた愛情には盲目で、対象であるシャアを困惑させますが、そこは女たらしっぷりが半端ないシャアですから、クェスもすっかり利用されてしまうという不幸が待ちかまえています。

シャア「世界は、人間のエゴ全部は飲み込めやしない」
アムロ「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる」
シャア「ならば、今すぐ愚民どもすべてに英知を授けてみせろ」

という序盤の名ゼリフ炸裂のもみあいのあと「貴様をやってからそうさせてもらう」というアムロに「あんたちょっとセコイよ」とシャアにひるがえったクェス。

このときのシャアの説得力はなかなかのものでしたが、ラストのシャアとの戦闘中の会話で、アムロにもシャアとは別種の洞察の鋭さがあると気づかされます。「ペットを飼うなら最後まで責任を持つ。面倒を見きれないペットに一瞬の同情で手を出さない」というのと似た哲学(我ながらひどいたとえだな)は正しい厳しさなのではないかと思うのです。

シャア「しかしこのあたたかさを持った人間が地球さえ破壊するんだ。それをわかるんだよ、アムロ」
アムロ「わかってるよ。だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ」
シャア「ふん、そういう男にしてはクェスに冷たかったな?」
アムロ「俺はマシーンじゃない。クェスの父親代わりなどできない。だからか。貴様はクェスをマシーンとして扱って」
シャア「そうか、クェスは父親を求めていたのか。それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」
アムロ「貴様ほどの男が、なんて器量の小さい」
シャア「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか」

いやぁ、やっぱりこれ名作だわー。
よくクェスみたいなキャラを作って
アムロとシャアのあいだに配置できるなぁ、と
つくづく富野由悠季監督の力量を思い知らされます。

『MUSASHI-GUN道-』なんかのネタアニメを祭るばかりじゃダメですね(汗)

・・・・・・

(追録)
翌日の土曜日、仕事のあとで恩師二人と江古田で飲んでいて、N先生から

「青木くんがなにかと僕に突っかかってきた時期があって
 そこでその妙な迫力にピンときて、
 僕はきみの父親じゃない、と怒鳴ったことがあったんですよ」

と、すっかり忘れていた昔話を聞かされてしまいました。
ああ、うん、あったなぁ、そんな時期。……なんというか第三次反抗期みたいなやつで、自分の息子でもないやつにやられたN先生は、アムロのような心境だったんでしょうか?

それにしても『逆襲のシャア』見返した翌日に……どういう偶然?(汗)

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2006年6月 1日 (木)

召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか

タイトルは2001年に開かれた村上隆個展
「召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか」
からの引用です。

——って、それ、くるりの曲「Lv30」の歌詞のもろパクリじゃん!

と、昔、近しい人が嘆いておりました。

「VIPPER対ブログ連合」の「しっくりこない感」と似たものを感じるということで、一つ前のエントリで話題にした現代美術家の村上隆ですが、いまになって、そういえばそんな逸話もあったなぁ、と思いだしました。


これも昔、誰かかから聞いて、なるほどな、と思ったんですが

「聞かれもしないのに声高に主張したり言い訳するヤツっていうのは、黙ってると実像がその反対なのがバレると思ってる場合が多いわけだ。……まぁ、たいてい、かえって目立って馬脚をあらわすことになるだけなんだけどな」

まさしく!

やましいところのない人は、泰然としてるだけでいいわけです。

気がつけば、ついにYahoo!ニュースのトップにまで
「2ch紹介するブログ 閉鎖相次ぐ」のトピックがきて
事態はまさに召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか状態。

こんな戦況図までアップされましたが(←クリックで別窓表示)
なりゆきを( ´_ゝ`)フーンと見守っている他板の住人たちにしてみれば

「VIPとニュー速だけが2chじゃないぞゴルァ」

という気持ちも芽生えそうです。
それはかつて僕がバイク板住人だったからですね(汗)
……すっかり疎遠になってしまいましたが

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、夕方帰宅して、サッポロの新しい発泡酒「雫」の缶を開けながら、今日の「ゼーガペイン」の録画を再生。なんて書くと、登場キャラの三崎紫乃(みさきしずの)萌えみたいでいやーんな感じですね(笑)

仮想現実内の再生データなのに死ぬってどういうことだよ、という主人公の問いへの答えが、地デジ放送のコピーアットワンスの説明みたいで思わず苦笑しました。

不死の存在が生の意味を混乱させるという問題に言及するかと期待しましたが、そういうのは「エルゴプラクシー」のほうに期待すべきでしょうか?

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