« 召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか | トップページ | そこ、メタフィクション禁止! »

2006年6月 2日 (金)

逆襲のシャア

DTP実習を終えたあと、とある学生さんから質問を受け、今日の文芸特殊講義IXの「ロボットが心や意識を持つというのはどういう状態を示すのか」というテーマについて、授業で語りきれなかったことを話していました。

話の流れから、彼女がかなり深いガンダムマニアであることが判明。
去年、僕の授業に「百式Tシャツ」を着てきたのは君だったのだな(笑

「『逆襲のシャア』のクェスはむかつきますよね」
と聞かれて、僕は反射的に
「うんむかつく」
と答え、
「ああ良かった。先生にクェス好きとか言われたらどうしようかと」
と安堵されたのですが……

帰宅してから、家に常備してある『逆襲のシャア』DVDをプレーヤに放りこみ
ひさしぶりに見返してみると……

好き嫌いが行動原理であるクェスのトラブルメーカーっぷりは
やっぱり神経にさわりますが、
ちょっと以前よりは余裕をもって見られるようになりました。

なんというか、クェスって、わがままを許された美しい少女特有の、
筋が通った純粋さを持ち合わせている気がするんですよ、
他人に自分を合わせることを学習すると消えてしまうたぐいの。

ただ、その「わがまま」を、両親が自分たちの不仲や放任してる後ろめたさの「代償」として許しているだけなのがクェスの不幸ですね。わがままだけど「天衣無縫」というには遠い感じがするのはそのせいでしょう。

そして、えてしてそういう人物は自分から向けた愛情には盲目で、対象であるシャアを困惑させますが、そこは女たらしっぷりが半端ないシャアですから、クェスもすっかり利用されてしまうという不幸が待ちかまえています。

シャア「世界は、人間のエゴ全部は飲み込めやしない」
アムロ「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる」
シャア「ならば、今すぐ愚民どもすべてに英知を授けてみせろ」

という序盤の名ゼリフ炸裂のもみあいのあと「貴様をやってからそうさせてもらう」というアムロに「あんたちょっとセコイよ」とシャアにひるがえったクェス。

このときのシャアの説得力はなかなかのものでしたが、ラストのシャアとの戦闘中の会話で、アムロにもシャアとは別種の洞察の鋭さがあると気づかされます。「ペットを飼うなら最後まで責任を持つ。面倒を見きれないペットに一瞬の同情で手を出さない」というのと似た哲学(我ながらひどいたとえだな)は正しい厳しさなのではないかと思うのです。

シャア「しかしこのあたたかさを持った人間が地球さえ破壊するんだ。それをわかるんだよ、アムロ」
アムロ「わかってるよ。だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ」
シャア「ふん、そういう男にしてはクェスに冷たかったな?」
アムロ「俺はマシーンじゃない。クェスの父親代わりなどできない。だからか。貴様はクェスをマシーンとして扱って」
シャア「そうか、クェスは父親を求めていたのか。それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」
アムロ「貴様ほどの男が、なんて器量の小さい」
シャア「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか」

いやぁ、やっぱりこれ名作だわー。
よくクェスみたいなキャラを作って
アムロとシャアのあいだに配置できるなぁ、と
つくづく富野由悠季監督の力量を思い知らされます。

『MUSASHI-GUN道-』なんかのネタアニメを祭るばかりじゃダメですね(汗)

・・・・・・

(追録)
翌日の土曜日、仕事のあとで恩師二人と江古田で飲んでいて、N先生から

「青木くんがなにかと僕に突っかかってきた時期があって
 そこでその妙な迫力にピンときて、
 僕はきみの父親じゃない、と怒鳴ったことがあったんですよ」

と、すっかり忘れていた昔話を聞かされてしまいました。
ああ、うん、あったなぁ、そんな時期。……なんというか第三次反抗期みたいなやつで、自分の息子でもないやつにやられたN先生は、アムロのような心境だったんでしょうか?

それにしても『逆襲のシャア』見返した翌日に……どういう偶然?(汗)

|

« 召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか | トップページ | そこ、メタフィクション禁止! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/106209/10402054

この記事へのトラックバック一覧です: 逆襲のシャア:

« 召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか | トップページ | そこ、メタフィクション禁止! »