「放課後保健室」完結→名作棚直行
雪が舞う東京の空の下、
ついに最終10巻が出た
水城せとな
「放課後保健室」
を買ってきました。
「セックス(身体的性別)とジェンダー(文化的・役割的性別)」を扱った漫画として、この「放課後保健室(略称・ホーホケ)」と、よしながふみ「大奥」が、いま現在書き続けられている漫画の双璧だったんですが、そのひとつがついに完結。
——その学校では、「卒業」するために、誰もがいつか、保健室での特別授業に誘われる。そこで眠りに落ちた生徒は、夢のフィールドで、自分自身が抱えた問題を映した姿になって、相手を傷つける血みどろの戦いに手を染めることになる。なぜなら「卒業」するための「鍵」は、倒した相手の体の中から出てくるものだからだ。主人公の真白は上半身男で下半身女の特異な身体をもちながら、ずっと男として生き、これからも男でありたいと思っていた。しかし、保健室の授業で与えられる姿は、女子の制服を着た自分自身だった——
こんな幕開けから「放課後保健室」は、
それぞれの弱みを抱えた生徒たちがからみあい、
それぞれの内面をかき乱しあいます。
この作品の良さは、
主人公の真白がすごくタチの悪い人間だということ抜きには
語れないような気がします。
普通の人には真白が優しげな人に見えるんですが、真白に好意を抱いていたり、力になりたいと考えている人に対して、真白がナチュラルに気遣いだと思って返す行為や言動が、ことごとく相手を傷つけたり振り回したりする最悪のチョイスになっているというところが、読んでいて心に刺さりまくるんですよ。
もちろん、さまざまな謎をちりばめた作品世界も大きな魅力なのですが、いまそれについて語ると、ものすごいネタバレになってしまうので控えます。
しかし、ちゃんと1巻の1ページ目の意味が最終巻で解るようになろうとは!
隠すことで謎にするのではなく、
すべては最初から示されていたんですね。
読者の自分が気づかなかっただけ……
まるで、現実に生きるなかで何度も遭遇する
「何でこんな簡単なことに気づかなかったんだろう」
という驚きに似た感慨があります。
最近「なんとなく思わせぶりな謎設定」を提示しておきながら、まったく回収しようともせず、中途半端な終わり方によってファンの解釈合戦を釣り上げ、ありもしない作品の深みを他人任せで捏造するタイプの作品が(エヴァンゲリオン以降?)増えてきたような気がしますが、「放課後保健室」は世界構造もストーリーの着地点も考え抜かれた上で最初の礎石を置いて、予定通り10巻で築き上げたスキのない建築みたいなすがすがしさがあります。
完結したので自信をもって言えます。
「少女漫画って面白い?」
と問われたら
「竹宮惠子の『風と木の詩』
吉田秋生の『吉祥天女』
水城せとなの『放課後保健室』
の三つを読んで判断してくれ!
もしこの三作がつまらなかったら、
少女漫画とは縁がないと思って
二度と本屋で少女漫画の棚は見なくていい。
人生は有限なんだから」
と。
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良い作品の良い場面には付箋をつけるクセがあるんですが、
上の写真の通り、ケーホケに付箋つけまくりですね、僕(汗)
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