2006年5月30日 (火)

次の発車と今度の発車はどちらが先?

次の発車と今度の発車はどちらが先?
……というタイトルなのに話題としては投げっぱなしです。表示を「先発/次発」に改めれば済む話なわけで、実際にしようとしてるのはすごく個人的な起床時の話です。スイマセン。

今朝目覚めのきわで見た夢に「前の」恋人が出てきて

……なんて書くと「今の」恋人がいるみたいな感じだけど、
実際そうじゃないし

こんなどうでもいいささいな言葉のニュアンスに気づくと
ふと、文章の「言外」とか「行間」の効能ってものについて
妙に真剣に考えだしてしまったりするのです。

答えなんて出ないんですけどね(苦笑)

忘れないうちにメモった夢の内容はこんな感じです。

つげ義春の漫画に出てくる目医者ばっかりの街みたいに
どこもかしこも、店という店がすべてパスタ屋の街で
恋人とお昼を食べる店を探してるんだけど、どこも満員。
ぜんぜん店に入れないんだけど、なんか気分が楽しく浮き立っていて
その人ともう年単位になる過去に別れていることは
目覚めるまで、すっぽり記憶から抜け落ちたままで……

こんな象徴に満ちた夢をみてしまうと
学生時代フロイドに傾倒していた僕は
すぐさま次のような分析をしてしまいます。

 全部同じ店、そのうえ入れない
  
 選択しようがない or 自分では決定済みの状況だが、
 その選択肢ではうまくいかない。

 別れた恋人だけどその認識がない
  
 姿を借りてるだけで無意識が別人の役を割り振っている

これはまるで新しい恋に落ちたばかりの人間の無意識だなぁ
と思うのですが、現実にそんな気配はまったくなくて (ノ∀`)

ああ、今日は所沢に講義に行く前に練馬の税務署に寄って
江古田文学の青色申告してこなくちゃなぁ……
で、授業が終わったら互助会の会議のために江古田に戻らなくっちゃなぁ、と
相変わらず仕事に追われている日々だったりします(´・ω・`)ショボーン

ぐあー 小説書く時間が欲しい。
先週遅ればせながら、小川一水『老ヴォールの惑星』を読んで強い感銘を受け
やべー、自分もこういう小説が書きてぇー、と
ものすごく創作欲が高まってるところなのです (`・ω・´) シャキーン

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2006年4月 3日 (月)

「ほめ方」なんて言い方ひとつなわけで

朝、見るとも無しにつけっぱなしにしてるテレビから
「精神科医が分析 子供のほめ方」という話題がながれてきました。

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「一番言ってはいけないほめ方は?」

 1. 頑張ったね

 2. やればできるじゃない

 3. お小遣い上げてあげる

という三択問題が出されたとき、
ああ、これは2番がダメだってことなんだろうな、と思いつつ、僕はその「やればできるじゃない」という言葉でうれしくなって、さらにやる気になったことがあるんだけどなぁ……と自分の記憶をかえりみたりしたのでした。

予想通り、2番の「やればできるじゃない」は
「子供にさらにやらなくてはいけないようなプレッシャーを与える」
「それまでの自分が怠けていたという非難を感じてプレッシャーになる」
ということで × という解説がなされました。

子供が良いことをしたとき、
何かをなしとげたとき、
「無条件でほめてやるのが大切」という話には大賛成です。
が、
問題はそこじゃなくてですね…

なんでもこういう「正しい or 間違った」という尺度で組み立てられた「マニュアル」に従った対応しかできないとしたら問題だよなぁ、と思ってしまうわけです。

そういう親の心理って、結局親自身の「間違っちゃだめだ」という「恐怖心」から生まれているものですよね。「子供がグレたらどうしよう」「子供が引きこもりになったらどうしよう」と常にビクビクしてる状態。

親たるもの、もっと鷹揚に構えんかい、と言いたいわけです。

もっと言うと
子供に、親を嫌ってもいい権利くらい与えてやれよ
と言いたいわけです。

とにかく会社にもご近所さんにも子供にも嫌われたくない一心の
「八方美人」な、人の顔色をうかがう生き方をしていると
その息苦しい生き方のほうを子供はコピーしてしまうわけですよ。
それが一番のプレッシャーだっちゅうに!

僕は、この番組でダメとされた「やればできるじゃない」というのを
親からも先生からもアルバイトの上司からも言われて、そのたびに
「純粋に自分のやったことを評価された」と、すごくうれしくなったんですよ。
こういう子供だっているんです。

ほめ方とか、言葉遣いに正解なんてないわけで、
言い方ひとつ、あるいはシチュエーションひとつで
「正解のセリフ」が相手を傷つけることだって多々あります。

そこで自分の言葉で言いたいことをぶつけて相手の態度が変わったら、その空気を読んで考え直したりあやまったりできる能力のほうが大切だったりしますよね、実際。

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2006年3月15日 (水)

メガネスキー・サドンデス敗北

先日入手した、街のオシャレなメガネ女子スナップ本『ガールズメガネ』を使ったゲームを思いつきました。

その名も
「メガネスキー・サドンデス」

ルールは簡単。勝負する二人が、この本に載っている55人のメガネ女子の中から、あらかじめ最高のお気に入りを一人決めておき、お互いに相手のNo.1が誰かを当てあうという明快さ(笑)。テレビの「食わず嫌い王選手権」の逆バージョンですね。

ところがここで問題が。
この本、写真ページにノンブル(ページ番号)がふられてない!

つまり「食わず嫌い王」のように
「先手、披露!」ジャーン「26ページのコ」「判定!」「……参りました」
という段取りがとれないのです。

というわけで、ページを開いて「これ?」と尋ねるという地味な競技にダウングレード(笑)

060314

さっそく先手のd女史が、パラパラと『ガールズメガネ』をめくっていきます。僕は余裕で、なかなか当たらなかったらどんなヒントを出そうかな、なんて考えていたのですよ——残りページ5分の1くらいにさしかかったところで、d女史が僕のお気に入りのページをめくる時までは。

ピシィッ!と効果音が出そうな勢いでd女史の指が動きました。

「これ!」

Σ(゚д゚lll)なんですと!? 

アナタ、まだ全員見終わってないのに、
その子で確定していいんですか?
((((;゚Д゚)))…

((((;゚Д゚)))ガクガク
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

な、なんでわかったんだ?

その瞬間「じつは普通の人間はすべてテレパシストで人の心が読めるんだけど、僕を含めた不感応者がかわいそうなので黙っているだけなんだな」という壮大な被害妄想までしちゃいましたよ。気分はもうサトラレ状態。後手の僕はもうメロメロ。5人目の候補を出してもハズレというダメっぷり。

いやはや、この人生で直面したあらゆるジャンルの争いにおいて、
これほどまでに完璧な「負け」は初めてです。いやはや。

というか、いくらd女史とのつきあいが長いとはいえ、
なにか自分で気づいていないバレバレな嗜好があるんでしょうか?
ひとりウチに帰ってきてからも僕は首をひねりつづけました。

一夜明けて今日、研究室の昼休み、スタッフT氏に「メガネスキー・サドンデス」を挑みました。これでまた瞬殺されたら、人生考え直さなくちゃなー(どういうふうに?)という心境です。結果、普通にお互い外しまくって、普通こうだよなぁ……と安心したのもつかの間、正解のコのページを見せると、スタッフT氏はこう言ったのです。

「ああ、そういう線か……そのコ、青木さんに似てますよ」

——はぃ? 似てるってどこが?

「いやフツーに見た目の感じが」

えええーっ! 一発で当てられた理由を検証した時、まったく自分にその発想はなかったのだけど、そりゃ、なんというか最高にキモイ(汗)。キムタクが横須賀功光・撮影の写真集で女装した顔が工藤静香に似ていて、彼女と結婚した理由に合点がいった時と同じくらい、いたたまれない気分です。この先にあるのは山本英夫のコミック『おカマ白書』的バッドエンドですよ。あるいは今もヤングアニマルで連載中の宮野ともちか『ゆびさきミルクティー』の由紀/ユキなみに最低な男ですな。

……と一瞬マジでヘコみましたが、

     まぁ、ひらきなおってもいいじゃないか。
         にんげんだもの

ここは極限まで開き直って、今度は
a girl like you 君になりたい。
でも買ってきましょうかね(爆)

like_you

君になりたいというタイトルで
小西康陽さんに帯を頼むところがあざといですよね(笑)

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2005年7月26日 (火)

今日のエールのバーナム効果

その人との未来に笑顔が取り戻せないなら仕方ないけど、
誰か違う人と新しい未来をはじめるとしても、
それを絶対に自分にとっての罰にしないで欲しいと思ってるんですよ。
新しい人に失礼なわけですよ。
私にはこんなダメな人と付き合うのがちょうどいいとか
夢にも思って欲しくないわけですよ。
それはその人をバカにしてるわけですよ皆さん!
高校デビューとか大学デビューとか社会人デビューとか
違う自分になろうとして失敗したことにおじけづいてても
またはじめればいいじゃないですか。
失敗したなんて後から思えばいいんです。
はじめる前から思ったって無駄なだけじゃないですか
素直に笑える人とつきあって幸せになれたなら
きっと他の人に優しさを分けられるようになるんですよ。
はじめようじゃありませんか皆さん!

——と、サンボマスター山口の口調で書くと自分の言葉なのに引用のような気がするな。いや実際自分の内側にあるものを材料に泣きつづけるくらいならサンボマスターでも聴いて無い手遅れよ泣いておくれよ。……いい誤変換だな「手遅れなんて無い」。

僕はある特定の一人に向けてこのエールを送っている。

でも、もしかしたら、その人じゃないのに、自分のことのように受け止められた人がいるかもしれない。それを不思議に思ったら、ぜひ「バーナム効果」という言葉を調べてみてほしい。
ただ、不思議を不思議のままにしておきたい人は、絶対に調べないように。

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2005年7月19日 (火)

脳みそファイルの移動とコピー

パソコンの操作を初心者に教えるとき、コピーという言葉が、一般的には「した時点で複製ができている」と受けとめられているので、コピー&ペーストにおける「一時的にクリップボード領域に写しを保持している」という概念を理解させづらかったりする。

まぁ、実際にやってみせればすぐに飲み込んでくれるのだが。
ワープロ時代の用語「選択範囲を記憶&貼りつけ」のほうがわかりやすいのは確かだ。

……で、
話をここでパソコンではなく、人間の機能にシフトしてみる。
たとえば日記などに書きつづった想いは、コピー&ペーストのはずだ。
外部に出力するといってもファイルの移動ではなく、
脳の記録を保持したまま、写しを身体の外にペーストするだけなのだから。

だが、話はそう単純ではない。
なまじ「記録」とか「記憶」とかいう言葉で説明できるから
人間の脳とコンピュータを同列にあつかえるような気がするが、
人間の場合、外部に書き留めたり、人に伝えたりした時点で「安心」してしまう。
複製を作ったのだから、もとをなくしてしまっても、そんなに痛手ではない。
そう、思ってしまう。

まぁ、コンピュータにしてもファイルの移動時には複製を検証してからもとのファイルを消すシークエンスになってるんだから、その検証のシステムが人間というハードウェアでは「安心」というフラグとして現れているだけ、と見ることもできる……けどね、

人間とコンピュータの明確な違いは、「自分」というシステムが、
時間とともに変化してしまうことにあるのだと思う。
出力したものは変化しない。日記の文字が勝手に書き変わることはない。
でも、自分で出力したものの意味はどんどん変わっていく。
それは、やっぱり、「自分」が変わるからだ。

……なんてことを考えさせられたのは、今朝、自分のMacのデスクトップがあまりにも乱雑なのに嫌気がさして、フォルダにまとめようかと思いたった時のことだ。何を書いたか記憶が薄い「2005夢の記録」というテキストファイルがあったのでダブルクリックしてみた。

こんなことが書いてあった。

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2005.6.18 朝 起きる直前に見た夢

卒業記念の冊子(パンフレットみたいな体裁)がある。ひとり6センチ角くらいのスペースで、写真つき自己紹介(ときには、友人や恋人からの紹介文)が載っている。僕の紹介文はA(2000年当時の僕の恋人)が書いている。ほめてくれている文の締めくくりは「ただ、ピンチから脱出するまでは、美点の優しさや誠実さは姿をひそめます」
だった。

A自身の自己紹介写真は、背景が工事中の江古田校舎旧正門前で、向かいの生け垣(現実には存在しない)の中にAが入って顔だけを出した状態、横顔が緑の中から飛び出した絵になっている。
彼女は自分のことを書いたあと、結びは「…今年は良い風に恵まれました。来年は母親に風を」となっていた。

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すっかり忘れていたが、
そういえばひと月くらい前にこんな夢を見たような気がする。

Aさんとは2001年に別れてから一度も会っておらず、二人で暮らしていた頃に飼っていたペットが亡くなった2003年にメールで近況を知らせあったきりなので、彼女がいま、どんな心持ちで日々を暮らしているのかは知るすべもない。つきあっていた頃のAさんはレキソタンが手放せないメンヘラーで、複雑な家庭事情をつくった母親をひどく嫌っていたが、あれから4年過ぎたいま、母親の幸運を祈る余裕が生まれるくらいの平安を、彼女自身が手に入れていられればと願う。夢の自己紹介文どおりに。

そして僕のことを「ピンチから脱出するまでは、美点の優しさや誠実さは姿をひそめます」と語る夢の中のAさんは、まるで今現在、彼女の次につきあい始めた恋人との別れ(とその後のいろいろ)で自分を見失っている僕の失態を見透かしているかのようだ。そう、恋人であることをやめた僕とAさんができなかった選択——きちんと距離をおいた冷静な友人同士のような視点で。

僕はテレパシーを信じるロマンティストじゃないから、このAさんが、自分自身の記憶を材料に夢が模造した化身でしかないとわかっている。そして、僕のことをそう思っているのは、きっとAさんではなく、最近別れたばかりの恋人なのだ。

この、脳が自作自演してまで迫ってきた認識がつらかったのか
僕はひと月もかけて、この夢を忘却しようとしていたらしい。

まあいろいろゴチャゴチャ書いてきたけど
結局言いたいことというか気づいたことというのは

ボクの頭には自分を思い出迷子に陥れる 
重大なセキュリティホールがあるぞ

ということだな。マイクロソフトもびっくり。

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2005年5月11日 (水)

過剰歯(前編)

遠い昔に思えるくらい3月にはいろいろなことがあった。
バイクで右直事故(こっちが直進)に遭い足の親指を骨折。
そのあおりで3月上旬に予定していた脱北計画(北朝鮮からではなく下北沢から江古田に近いところへの引越)が流れて、仕事がとんでもなく忙しい年度末にズレこみ、そこには芸術学部の助手会から始まった学科横断企画「シームレスアート計画」の本番公開日が控えていて、スケジュール調整マジ困難な状況に追い込まれていた。

そんなある日のことだ。歯みがき中に左上の第2大臼歯にかぶせていた金属が
ぽろり
と外れてきたのは。飲み込まなかっただけまだラッキーだった。
稼ぎからひゃくまんえん積んで手にしたドイツ製のバイクはぐちゃぐちゃ。
ついでに生まれて初めての骨折なんて状態で、歯のかぶせもの(歯医者で「インレイ」と呼んでいたのでそういう名前なのだろう)まで誤飲してたら泣く。泣くしかない。

しかし、歯医者に行ってる暇などなかったので、ゴールデンウィーク直前まで放置していたら、歯というのは支えていたものがなくなると、いとも簡単に楽なほうへしなだれかかるように変形してしまうらしい。まぁ気持ちはわかる。ひと月放置していたため、すでに歯の形が微妙に変わってインレイがはまらなくなっていたのだ。結局、型をとって作り直しというなんとなく予感していた事態に。さらに歯医者など2年ぶりくらいなので、一ヵ所親知らずに虫歯ができているのを発見されてしまった。

インレイのほうは5/7で復活。親知らずの治療のためにレントゲンが撮られ、次回抜くか治療するか考えましょう、というのが先週までのあらすじ。

続く…

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過剰歯(後編)〜クジラの歯とレクイエム

人間の歯は全部で32本。
前歯から親知らずまで8本×上下左右4セット

……なのだけど、前回撮ったレントゲンの写真を見せられて
「親知らずの後ろに小さい白いのが見えるでしょ? コレ、9番目の歯」
と歯科の先生はおっしゃいます。 

は?

「ウチでもいままで三人ぐらいいましたね。まぁちょっとした先祖返りのような」
……いらん先祖返りだなぁ、耳が動かせるほうがまだ使いでがあるような……
という僕の心の声を察したのか、
「クジラの歯はこんなふうに奥の方に予備が用意されていて、二本ずつ平行移動してきて生え変わるんですよ。一生のうちに四回」 
 
ゴールデンウィーク中に東京湾を回遊して親子連れの歓声を浴びたコククジラは何回目の歯だったんだろう?

(そのコククジラが、この日の朝、千葉県富山町沖の定置網にかかり、死んでいるのが発見されたなんてことは、まだ僕は知らなかった。ナムー)

しかし僕は人間なので、クジラのように予備の歯が出てくるでもなく、その過剰歯「幻の9番」とやらが「8番」こと親知らずの根っこに横から閂(かんぬき)をかけている状態なので、抜くという選択肢は自然と消滅し、普通に虫歯治療をすることになった。

帰り道を歩きながら、
クジラに歯なんてあったっけ?
あのカラクリ人形のゼンマイにも用いられた「ヒゲ」が歯なんだっけ?
と、だまされたような気分でクジラにかんする知識をしぼりだそうとしたけど、むかし熱海の秘宝館で見た、床から飛び出ていたクジラの巨大なペニスと、天井にはりついていたクジラのヴァギナのことしか思い出せなかった。……しかしそれはクジラがほ乳類であることを鮮烈に再認識させる結果となり、まぁ奥歯くらいはあるだろうというところに落ち着いた。

自分にしては珍しく、その後クジラの歯についてはググらずにいる。
時には知らないことを知らないままにしておくのもいいんじゃないか?

自由な連想を阻害する「知識・常識の壁」は
時々こんなふうに建設中止に追い込まれているらしい、自分の中では。

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