『交響詩篇エウレカセブン』全50回、ほぼ一年にわたる長い物語も、来週でフィナーレ。主題歌「sakura」の歌詞のように「明日からは別々の道 てそんな突然心の準備ができない」って感じですよ本当に。終了後はもう日曜朝の早起きなんてできない予感(汗
このアニメについては賛否両論(世間一般的には否のほうが多いかな?)入り乱れていますが、なぜ自分はこんなにハマってしまったのか、という結論から言うと、それは「心理的チラリズム」の効能でしょう——というひと言では説明不足なので、最終回マイナス1の今回の放映を回想しつつ語ってみようと思います。
(未見の方スイマセン。ネタバレは避けられそうにないです)
じつのところ、エウレカセブンは、
観ていて「もったいない」と感じることが多いアニメです。
世界を支える大仕掛けとして、『猿の惑星』のように「別の惑星の話と思いきや、じつは地球だった」パターンを採用しているのですが、それが判明する回は、世界の成り立ちが明かされるカタルシスを捨ててまで主人公カップル・レントンとエウレカのギスギスした痴話げんかを描写!
なぜここで、SFの名篇、ディックの『最後から二番目の真実』や神林長平の『あなたの魂に安らぎあれ』のように「世界の真の相貌の出現」を鮮やかに演出しないのか、もったいない!と、苦言を呈したくなってしまうのです。
でも、僕なんぞが「こうしたほうが良い」という案なんて作り手はとっくに検討済みだろうし、演出の定石を捨てることによって見せたい別の何かがあるのではないか?という気持ちに、不思議とさせられるのもまたエウレカセブンなのです。
例えば、リーダーのホランドは、理由もなく主人公レントンに当たり散らすDV暴君のような描写で視聴者の好感度を地に落としておいてから、そこに隠された意図がレントンに伝わる場面を戦闘アクションの盛り上がりに結びつけるなど、カタルシスにあふれた出来映えな回があるので、毎週見逃すことが出来なくなってしまうのです。きっとまたやってくれる、というかすかな期待で。
鬱々とした話をくどいくらいに続けて、カタルシスが訪れる回とのコントラストでさらに輝きを倍増させるという効果も計算済みなのかもしれませんが、打ち切りもありえるテレビシリーズ物として、それはとても危険な構成です。
だから、意図してそうなのではなく、天然でそういう演出しかできないコアスタッフである可能性も否定できません。
で、今回の48話「バレエ・メカニック」
神は細部に宿ると申しますので、ネタばれを回避するため途中を全部すっとばして言うと、もう鬱な結末しかないと思われていた二人、アネモネ&ドミニクに予想をくつがえす展開が……
エウレカ世界の最新流行はやっぱり、
落下しながら告白。これだね。
ただしこれを決めすぎると
主人公カップル・エウレカレントン組のことなんて
みんな忘れてしまうという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦めできない。
——などと使い古された吉野家コピペ口調で茶化してしまうのも、
この場面を脳内再生するとうっかり泣きそうになるくらい(汗)
良いシーンだったからです。
こんな劇的な再会で、
そのままだと墜落死なシチュエーションで
口にする言葉が
「アネモネ! その、えっと……久しぶり」
って、ドミニクおまえは俺か!っていう
非モテ系おバカっぷりですよ。
なんだそのリアル(笑
泣けるじゃないかちくしょう。
今回は、
この、ほとんど主役をかっさらった勢いの二人以外にも、
唐突にモヤモヤを晴らしてくれたキャラがいます。
今までの分を取り返すようにハイスピードで二人が愛を確かめあっているところへ、こともあろうに衛星軌道兵器・オラトリオ8のビームを照射しようとしている軍司令官デューイです。(スカブコーラルの核にオラトリオの標的ビーコン打ち込むのがアネモネの仕事で、それ自体は完遂しちゃってるので当然といえば当然なのですが)
「アルティメット出力で照射するとオラトリオが自壊してしまいますが、構いませんか?」という部下の進言に「君の望む世界に、あんなものが必要なのかね?」と返したデューイ。
僕はこのセリフひとつで、デューイは決して破滅主義者ではなく、すべては彼なりの信念に基づいた「ハッピーエンドの形」を思い描いた上での行動なんだということが、急に理解できました。 求める世界に武器はいらない、と
前回までにデューイが何度も繰り返してきた「地表を覆うスカブコーラルを殲滅して我々の母星を取り戻しましょう」というプロパガンダはいかにも安っぽくて、正直、ちゃちな悪役にしか見えなかったのですが、 その一面で片づけられない部分を、今回のセリフのような形で突然「ちらっ」と見せる……こういう演出の手管がすごく多いアニメなんですよね、エウレカセブンって。
話の作り手(監督とか脚本家級のコアスタッフ)の中に、悪い人に引っかかってひどい目にあい続けるんだけど「無防備な一瞬にみせる素直なところとか、人づきあいが不器用なせいで誤解されて苦しんでいる姿とかを見ると、放っておけない」という「全自動ダメ女(or男)擁護機能」をアンインストールできなくて、苦労が絶えない人がいるとみました。
そういう属性を持つ人は、暴虐の連続の中にふと現れる「ちらっ」という優しさや素の表情にヤラれやすいんですよね。DVダメ男のホランドとか、今回のデューイとか、ツンデレ回路発動したアネモネとか、なぜかエウレカセブンにおいては「心理的ちらっ」の、これでもかという大サービスぶり。
僕がこのアニメにやられっぱなしなのは、きっとそういう性なんだと思いますが、自戒をこめて「悪女の不器用さなんて、惚れてる人以外の目にはワガママにしか見えない」という真理を書き加えておくのを忘れないでおきましょう。これが恋愛恐怖症クオリティ(苦笑) もっとありていに言えば、エウレカセブンは「対象:じらされるのが好きな人向け」アニメかもしれません。そうじゃない人にとって、これほどイラつくアニメはないでしょうから。
スカブコーラルをナウシカにおける腐海とみると、デューイは巨神兵で腐海を焼き払おうとしたクシャナの劣化コピーにしか見えないでしょうし、地下に本来のクリーンな地球が復活しているという世界構造もよく似ています。アラ探しが趣味の「批判家」がいっぱいのネット上では、とかくそういう点で叩かれやすいのですが、ツッコミどころを全部スルーして泣けた自分はラッキーだったと言うしかありません。
——というのをさらに強く感じたのは、たまたま夕刻、
全く別種の「人が泣く場面」に出くわした時です。
日テレの「真相報道バンキシャ」を観ていて、チェチェン紛争で自分が殺される瞬間を撮影したカメラマンの最後の8分間のテープが流された後でした。コメンテーターで来ていた漫画家の倉田真由美の泣き顔のアップに……
僕は怒りさえ覚えましたね
このタイミングで司会の福沢朗が、このカメラマンに対して「ジャーナリストのしての使命感が……」などと言いだすものだから、もはや報道人の自己讃美にしか聞こえず怒り心頭! 何の圧力がかかっているのか知らないけど中国のチベット虐殺を報道しないおまえらがジャーナリズムの使命発言をするなど片腹痛いわ!と、一人でテレビを相手にヒートアップしてしまいました(汗)
なぜ僕があの映像を見て泣く人間を許せないかというと、
あのテープの中に記録されている「貴重な情報」を
まったく読み取っていない(読み取る姿勢さえない)からです。
彼にあったのは報道者としての自己犠牲の精神なんかじゃありませんよ。完全にヤバい状況に陥ったことに気づくまでは、使命感や功名心も含めた「カメラマンとしての欲望」で身体が動いていたと思いますが、道路を挟んだ銃撃戦のなかに取り残されて、車の影でビデオカメラを回し続けた8分間の映像は、彼の「この状況からどう生還するか」という抜き差しならない「生死をかけた闘い」の記録なんです。
8分間のなかに「SONY」と刻まれたレンズキャップが偶然かぶさってしまったまま音声だけ記録されている時間がかなりあって、カメラにかまわず伏せて息を詰める動作に必死な様子が感じられます。彼が着ている真っ赤なセーターは、あえて民間人の報道者であることを示すものだったのかもしれませんが、もはや「だから撃たないでくれる」という免罪符にはならず、逆に標的として目立つ状況にあるという判断はなされていたのでしょう。やがて近くに車が止まるブレーキ音がして、状況を確認しようと動いた彼を狙撃手は見逃さず、まず足を撃たれてしまいます。セーターを脱いで太ももを縛り止血しようとする様子が揺れる画面の端に映り、その鮮血の赤の鮮やかさから動脈がやられたことは確実で、そのままだと失血死してしまうという彼の現実的判断が読み取れます。しかし、その動作で場所を悟られたのか、まもなく車を貫通する銃撃でとどめを刺されてしまいます。
この映像が突きつけてくるのは
「もし自分がその状況に置かれたらどう行動するか?」
というシビアな問いです。
だから、ちゃんと映像のメッセージに反応していれば、
泣いているヒマなんてないはずなんです。
コメンテーター・倉田真由美の涙は、
明らかに「他人事として見ている」証拠でしょう。
自分の命を大切にできない人間に他人の命を尊重することはできない。その現実的な第一段階をクリアせずに戦争の悲惨さを訴えても、しょせん、地に足がついていないきれい事にすぎません。
ま、しかし、
あの映像で泣いてしまった人に怒りを覚える人もいれば、
エウレカセブン48話を五回見直して三回目まで泣いた(恥)僕を
嘲笑する人もいるでしょう。
自分が殺される瞬間を撮影したカメラマンの最後の8分間で泣いてしまった人には、ぜひ村上龍の『五分後の世界』を一読したのちに再びあの8分間の映像と向き合って、刻まれた「情報」を読み取ってほしいと思うのです。
『五分後の世界』は第二次世界大戦で降伏せず、1994年に至って人口23万人に減少してもまだ戦い続けている、パラレルワールドの日本に迷い込んだ男の話です。「どうして戦い続けているんですか?」という問いに対する司令官のヤマグチの答えのなかに、ニューギニアやガダルカナルで戦った兵士たちは、日本の歴史上ほぼ初めて具体的に海外とかかわった人たちであり、生存さえ困難な状況で戦い続けたなかで彼らが得た情報をムダにすることは絶対に許されない。その民族が生きのびていくためには次の世代に大切な情報を確実に伝えていかなくてはならなず、そのためには戦いつづけるしかなかったのだ——というくだりがあります。
ぜひ原文で読んでほしいのですが、そこには人間の生存に欠かせない要素と戦争の原因となる要素の両方が存在し、並び立つ現実に嘘やごまかしが介入していないことが伝わってきて愕然とさせられます。つまり、戦争は、たぶん、永遠に、無くならない。
しかし「自分が生きのびること」の肯定が、そのために自分以外を蹴落とすのではなく、共に生きていく方向に帰着するよう努めることは可能です。
「生きよう、一緒に」
エウレカセブン48話が示したのはそんな可能性の一端だったと思います。
あれは具体的方策がないご都合主義だって?
それはテレビの前を離れた僕らのリアルで考えればいいことじゃありませんか?
今回が最終話なら「素敵なハッピーエンド」でしたね。
でも来週の、ほんとうの最終話には、
「現実的なハッピーエンド」を見せてほしい。
もしそのハードルを越えてくれたら
『交響詩篇エウレカセブン』は「神アニメ」認定です。個人的に。
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