2008年1月13日 (日)

日曜の朝のテレビ的危機感

気がついたら、部屋で作業をしている時に机の90度横に置いてあるテレビをつけっぱなしにしていることが多い僕ですが、なんとなく、あんまり静かだと集中できない性分だからでしょうか。

視界にテレビが入ってないのにつけるのは
無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!
ラジオでも聴いてろとか言われそうですが、
映像を抜いたテレビの
情報量のスカスカさ加減がちょうどいいのかもしれません。

それでも時々耳にさわる言葉があって、今朝は

「物づくりでも他の国においつかれつつあるのに
 ニッポンは危機感がなさすぎる」
 ——とサンデーモーニングで誰かが言ってました。

おいおい「ニッポン」でひとくくりにするなよ、と。
ニッポンが追いつかれている、っていうのも旧来の競争の物差しで、
もしかしたら次世代を担う人たちは、
そんな基準では戦っていないのかもしれない——
——なんていう可能性にも、
  テレビなんていうオールドメディアでしたり顔の
  感性が年老いたコメンテーターには思いつけないのだろうなぁ……

ほぼ週間単位で流行のメインストリームが入れ替わるニコニコ動画なんて
ボーカロイドのオリジナル名曲が誕生したり、
アニメのネタ回が発生するたびに、
どんな味付けでPVやMADをつくるかっていう水面下の戦いが始まるわけですよ。

名無しクリエイターたちは作品アップ前に
「ネタがかぶったらどうしよう」
「あの神動画師が参入してきたらどうしよう」
とまさに孤独な戦いを強いられてるわけです。

どうよ、この純粋に物づくり的な危機感。
テレビから失われつつないか?

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2008年1月 8日 (火)

天才を表現する手法・ドラマ版ハチクロを観て

今晩から始まったドラマ版「ハチミツとクローバー」
ありていに言えば、美大を舞台にしたぐだぐだ恋愛劇なんですが、
原作漫画からアニメ化、実写映画化を経て、
ついにテレビドラマにまでなってしまいました。

も一回書きますが、10字以内で要約すると
「イタいぐたぐだ恋愛劇」です。
(公式キャッチコピーが確か「登場人物全員片想い」)

それがこれほどまでに支持されたのは、
それだけ演出が優れていたからからでしょう——原作の。

なので、見続けるかどうかはひとえに演出にかかってますね。
ハチクロにおける演出の最初のハードルは、
はぐちゃんの「天才性」をどういう形で描写するか
というところにあるはずです。

で、どうだったかというと——

はぐちゃんの絵を見た竹本くんの心の声で、彼女の凄さをナレーションしてました、ってオイ!……それならそうと、「絵自体は見せない」演出にしないと、よっぽど彼女が描いた「絵」に力がないと醒めちゃいますよね。

なのに最初に絵を映してから、見た人の説明で天才性を示すなんて
演出手法として下手を打ちすぎでは?

羽海野チカさんが描いた原作での「コマ間モノローグ」を
こんなガサツな解釈で演出するとは、逆にチャレンジャーだなぁ…
という感想しか出てきません。

あと基本的なところで
いちおう原作を頭から消して観ていたけど
そうするとまったく話が見えてこなかったのは、
今日の僕の体調が悪くて熱があるからだけではないような。

ドラマの最初で新入生にカレーふるまってて
「もやしもん」のほうが実写化されたのかと思っちゃいましたよ
ヽ(`Д´)ノ ウワァァン!!

公式サイト→フジテレビ「ハチミツとクローバー」

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2006年8月 8日 (火)

Mac Pro とHAL9000

国外逃亡の予定もない自分が、2都市時刻表示の時計をどう活用するのか?
7/8のエントリで、その命題に

「サンフランシスコで行われるWWDCにて、
 アップルの新技術&新製品の発表が行われる時間を忘れずに
 リアルタイムでウォッチするため」

という答えを導き出し、さっそく、
TYO(東京)とSFO(シスコ)でセットした僕でしたが……

サマータイムにセットするのを忘れていました(汗)

意味ナシ(´・ω・`)ショボーン

それでもちゃんと日本時間午前2時に
英語のテキスト実況サイトと新Mac板@2chを開いて(笑)
準備万端ワクワクテカテカしながら待ちかまえていました。

講演の冒頭で早くも発表されたMac Pro。 

PowerMacG5とほぼ同じデザインということで、ちょっと期待は外れましたが、目玉商品がいきなり登場!ということは——ラストにジョブズが講演をしめくくると見せかけておいて、いかにも「ひとつ忘れていたよ」とばかりに「One More Thing」の殺し文句を口にする可能性がアップしたということです。

次に来春登場の次期Mac OS 10.5"レパード"の機能をプレビュー。

ついにアップルがタイムマシンを実現。ってのが笑わせドコロでしょうか?

これはWindowsの「復元」に、SF映画的な無駄に格好良いインターフェイスをくっつけた機能ですが、その(良い意味での)アホっぽさは流石だよなアップル、と感動すら覚えます。

しかし期待の「One More Thing」なしに基調講演は終わり、
気持ちは冷静検討モードに。

来春Mac OS 10.5"レパード"プリインストールモデルが出て、アドビのインテルMac対応のアプリが出るまでは待ちだな……だいたい動画エンコードを日常的にするわけでもない自分にとって、Indesignがサクサク動けばいいんだから、Mac miniにCore2Duo載ればイイんじゃないの? Mac Proなんて宝の持ち腐れ……

と考えを巡らせながらアップルのサイトを眺めていて、
下の画像を見た時、僕の脳内に、ある映画がフラッシュバックしました。

Hal5

このハードディスク・ベイがユニットで抜き取れる構造。
普段は見ることもない内部までスキなくデザインされた筐体。

2001:A SPACE ODYSSEY   

そう、「2001年宇宙の旅」で、
ボーマン船長がHAL9000の中枢論理メモリを抜いていくシーンそのものです。

Hal1

右の丸い場所がHALの眼。
MacはWinと違って2000年問題に根本的に対応しています、
というCMのキャラクターとして、かつてHALが登場していましたね。

そのCM、YouTubeにありました→■Click
iPodビデオ用mp4ファイルはこちら→■Option+ClickでDownload

「2000年問題で大混乱が起きたときのことを覚えていますか?デイブ(ボーマン船長のファーストネーム)あれはバグだったのです、デイブ。私たちにはどうすることも出来なかった。Macだけが対処できるように最初から設計されていたのです。デイブ、あなたは私よりMacに夢中なようですね。聞いていますか?デイブ…」

Hal2

月で発見された地球外存在の直方体・モノリスが木星への電波を発していることがわかり、調査船ディスカバリー号を飛ばすことになります。宇宙船の搭載コンピュータHAL9000は、政府によって「乗員の生命よりも調査を最優先すること、その指令を乗員に明かさないこと、かつ乗員の生命を維持すること」という矛盾した指令を入力されていました。その板挟みによって判断ミスを犯し、次々に乗員を殺害する暴走コンピュータと化してしまいます。

Hal3

ボーマン船長はHAL9000の中枢論理メモリを抜いて、
機能低下させていくことを選択します。

まさに生きながらのロボトミー手術。
自分が自分であることを失うこと=記憶の消失。

「私の頭の中の消しゴム」にプッと失笑された方にも
「2001年宇宙の旅」はオススメです。

Hal4

意識がもうろうとしていく中でHALはつぶやきます。

「私は… 怖い」

それはコンピュータにとって、
どんな状態を「翻訳」した言葉なのでしょうか?

——いや、人間にとってすら「恐怖」は、体内酸素や栄養の不足とか神経制御バランス失調などの機能的危機を「翻訳」したものが、「感情」というインターフェイスで表されているだけなのかもしれません。

そんなことをぼんやり考えているうちに、またMac擬人化的感情移入が始まって、

やばい……仕事に必要ないとかオーバースペックだとかの事情を超えて

「Mac Pro… 欲しい」

という気持ちが高まってくるのは、いったいどんなフィジカルでケミカルな体内反応の「翻訳」なのでしょうか(笑)

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2006年5月26日 (金)

ブレードランナーへの片想い

今日の文芸特殊講義IXは、先週から引き続き
『ブレードランナー』(1982年)を上映しつつ
本物そっくりなものが生む不安についての講義です。

いちおう初期公開版を見せておきたかったので
なつかしのレーザーディスクで、今日はちょうど裏返すところから。
映画配給会社の要求で、とってつけたようなラストシーンがある版です。

ディレクターズカット版では削除されたそのラストによって
「本当はデッカードもレプリカントなんじゃないか?」
という邪推を、受けつけやすくなっているのか、それとも逆なのか

もはや繰り返し見過ぎた僕には判断がつきません。

ただ、なぜレプリカントのロイが
敵であるデッカードを落下死から助けたのか?
それについてのデッカードの独白は、
カットされて正解でしょう。

「命が大切に思ったのだろう
 それが他人のものであれ」

そういうことじゃないな、と思うわけです、僕は。

講義でも話しましたが、

あそこにあるのは「片想い」の構造ですね。

デッカードは、社会を「見分けのつかないニセモノ」から守るために
レプリカントを「処分」します。
けっして「殺害」するわけではないのです。

レプリカントのロイは、仲間を殺された復讐として
圧倒的優位のうちにデッカードを殺さず、
指を折ったあと再び拳銃をその手に握らせ
ゲームのようにデッカードを泳がせます。

それは、デッカード(=人間)に
やるなら「人間を殺す」つもりで自分を殺してほしい
というロイ(=レプリカント)の願いではないでしょうか?
その自覚がデッカードのなかに芽生えるまでいたぶり続け

「恐怖の中で生きるのはどんな気分だ?」

と挑発的に問うロイ。
たぶんその言外にこめられているのは
人間もレプリカントもそれは同じだというメッセージでしょう。

ここで僕は気づくわけです。

ああ、これはまるで片想いだ、と。

相手を唯一のものとして強く恋い慕っていても
相手にとって自分はその他大勢の一人にすぎない。
文字通り、まったく相手にされていない。
二人が違う層の現実に立っているのが片想いというものです。
そこで、相手に振り向いてほしい、同じ層の現実に立脚してほしい
——と渇望すること。

まさしくこういう構造だと思うのです、
ラストの死闘に恋愛という要素はみじんも入っていませんけど。

余談ですが、
『ブレードランナー』の遠縁にあたる(かな?)『攻殻機動隊』が
バトーという孤独な男の片想いに終始するのも
もしかしたら無意識的オマージュなのかもしれませんね。

さて、

上映を終えて教室を明るくした時に
昨年度この授業をとっていたH川君とS藤君が
いつのまにか大教室の一番後ろに座っているのに気づきました。
( (・∀・)イイ!作品を出してくれたので二人ともA以上のS評価をつけたはず)

そして講義中
二人同時になんか小さく身振り手振りをしてるので、
(゚Д゚≡゚Д゚)エッナニナニ?と注視してみたら

( ・ω・)おまいら……

ハルヒダンスかよっ!
(♪BGM:「
ハレ晴レユカイ」

それはもしや、

 フィリップ・K・ディック
    
 現実崩壊不安

  ↓
 涼宮ハルヒの憂鬱

というアクロバティックな講義展開に持ち込んでください、という

ミステリックサインか(笑)

            ,ィュ-‐-、_
         /: : : : : : : : : :`ヽ
         /: : : : : : : : : : : : : : :ヽ
       イ : : : : ,ィ ./リ| ト、: : : : : ゝ
        !: :/: :,AZ__ |/' >r.、: :N
        !'ヽ: :! —-   ニ| .! .!ノ
         _人_l、u.   i .(ヾ| .! iヽ
    _,..-'´/:::::| ヽ 〜 ,.ネ、   ト、       
  r'´:::::::::::::く:::::::|  ノ` =く. .|::ヤ   .|:::`゙ー、
 /:!::::::::::::::::::/::::::.レ'^YニY/レ!:::ヽz='=i::::::::ヽ
/::::::!::::::::::::::::ヽ:::::::|  .〉-〈 /::::::〈:::::::::::::|:::::::::::!

……そこ、笑うところだぞ((C)キョン)

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2006年4月 3日 (月)

「ほめ方」なんて言い方ひとつなわけで

朝、見るとも無しにつけっぱなしにしてるテレビから
「精神科医が分析 子供のほめ方」という話題がながれてきました。

Dsc02963
「一番言ってはいけないほめ方は?」

 1. 頑張ったね

 2. やればできるじゃない

 3. お小遣い上げてあげる

という三択問題が出されたとき、
ああ、これは2番がダメだってことなんだろうな、と思いつつ、僕はその「やればできるじゃない」という言葉でうれしくなって、さらにやる気になったことがあるんだけどなぁ……と自分の記憶をかえりみたりしたのでした。

予想通り、2番の「やればできるじゃない」は
「子供にさらにやらなくてはいけないようなプレッシャーを与える」
「それまでの自分が怠けていたという非難を感じてプレッシャーになる」
ということで × という解説がなされました。

子供が良いことをしたとき、
何かをなしとげたとき、
「無条件でほめてやるのが大切」という話には大賛成です。
が、
問題はそこじゃなくてですね…

なんでもこういう「正しい or 間違った」という尺度で組み立てられた「マニュアル」に従った対応しかできないとしたら問題だよなぁ、と思ってしまうわけです。

そういう親の心理って、結局親自身の「間違っちゃだめだ」という「恐怖心」から生まれているものですよね。「子供がグレたらどうしよう」「子供が引きこもりになったらどうしよう」と常にビクビクしてる状態。

親たるもの、もっと鷹揚に構えんかい、と言いたいわけです。

もっと言うと
子供に、親を嫌ってもいい権利くらい与えてやれよ
と言いたいわけです。

とにかく会社にもご近所さんにも子供にも嫌われたくない一心の
「八方美人」な、人の顔色をうかがう生き方をしていると
その息苦しい生き方のほうを子供はコピーしてしまうわけですよ。
それが一番のプレッシャーだっちゅうに!

僕は、この番組でダメとされた「やればできるじゃない」というのを
親からも先生からもアルバイトの上司からも言われて、そのたびに
「純粋に自分のやったことを評価された」と、すごくうれしくなったんですよ。
こういう子供だっているんです。

ほめ方とか、言葉遣いに正解なんてないわけで、
言い方ひとつ、あるいはシチュエーションひとつで
「正解のセリフ」が相手を傷つけることだって多々あります。

そこで自分の言葉で言いたいことをぶつけて相手の態度が変わったら、その空気を読んで考え直したりあやまったりできる能力のほうが大切だったりしますよね、実際。

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2006年3月26日 (日)

エウレカセブン
最後から二番目のハッピーエンド
&自分が殺される瞬間を撮ったカメラマン

『交響詩篇エウレカセブン』全50回、ほぼ一年にわたる長い物語も、来週でフィナーレ。主題歌「sakura」の歌詞のように「明日からは別々の道 てそんな突然心の準備ができない」って感じですよ本当に。終了後はもう日曜朝の早起きなんてできない予感(汗

このアニメについては賛否両論(世間一般的には否のほうが多いかな?)入り乱れていますが、なぜ自分はこんなにハマってしまったのか、という結論から言うと、それは「心理的チラリズム」の効能でしょう——というひと言では説明不足なので、最終回マイナス1の今回の放映を回想しつつ語ってみようと思います。
(未見の方スイマセン。ネタバレは避けられそうにないです)

じつのところ、エウレカセブンは、
観ていて「もったいない」と感じることが多いアニメです。

世界を支える大仕掛けとして、『猿の惑星』のように「別の惑星の話と思いきや、じつは地球だった」パターンを採用しているのですが、それが判明する回は、世界の成り立ちが明かされるカタルシスを捨ててまで主人公カップル・レントンとエウレカのギスギスした痴話げんかを描写! 

なぜここで、SFの名篇、ディックの『最後から二番目の真実』や神林長平の『あなたの魂に安らぎあれ』のように「世界の真の相貌の出現」を鮮やかに演出しないのか、もったいない!と、苦言を呈したくなってしまうのです。

でも、僕なんぞが「こうしたほうが良い」という案なんて作り手はとっくに検討済みだろうし、演出の定石を捨てることによって見せたい別の何かがあるのではないか?という気持ちに、不思議とさせられるのもまたエウレカセブンなのです。

例えば、リーダーのホランドは、理由もなく主人公レントンに当たり散らすDV暴君のような描写で視聴者の好感度を地に落としておいてから、そこに隠された意図がレントンに伝わる場面を戦闘アクションの盛り上がりに結びつけるなど、カタルシスにあふれた出来映えな回があるので、毎週見逃すことが出来なくなってしまうのです。きっとまたやってくれる、というかすかな期待で。

鬱々とした話をくどいくらいに続けて、カタルシスが訪れる回とのコントラストでさらに輝きを倍増させるという効果も計算済みなのかもしれませんが、打ち切りもありえるテレビシリーズ物として、それはとても危険な構成です。

だから、意図してそうなのではなく、天然でそういう演出しかできないコアスタッフである可能性も否定できません。

で、今回の48話「バレエ・メカニック」

神は細部に宿ると申しますので、ネタばれを回避するため途中を全部すっとばして言うと、もう鬱な結末しかないと思われていた二人、アネモネ&ドミニクに予想をくつがえす展開が……

eureka48

エウレカ世界の最新流行はやっぱり、
落下しながら告白。これだね。
ただしこれを決めすぎると
主人公カップル・エウレカレントン組のことなんて
みんな忘れてしまうという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦めできない。

——などと使い古された吉野家コピペ口調で茶化してしまうのも、
この場面を脳内再生するとうっかり泣きそうになるくらい(汗)
良いシーンだったからです。

こんな劇的な再会で、
そのままだと墜落死なシチュエーションで
口にする言葉が

「アネモネ! その、えっと……久しぶり」

って、ドミニクおまえは俺か!っていう
非モテ系おバカっぷりですよ。
なんだそのリアル(笑
泣けるじゃないかちくしょう。

今回は、
この、ほとんど主役をかっさらった勢いの二人以外にも、
唐突にモヤモヤを晴らしてくれたキャラがいます。

今までの分を取り返すようにハイスピードで二人が愛を確かめあっているところへ、こともあろうに衛星軌道兵器・オラトリオ8のビームを照射しようとしている軍司令官デューイです。(スカブコーラルの核にオラトリオの標的ビーコン打ち込むのがアネモネの仕事で、それ自体は完遂しちゃってるので当然といえば当然なのですが)
「アルティメット出力で照射するとオラトリオが自壊してしまいますが、構いませんか?」という部下の進言に「君の望む世界に、あんなものが必要なのかね?」と返したデューイ。

僕はこのセリフひとつで、デューイは決して破滅主義者ではなく、すべては彼なりの信念に基づいた「ハッピーエンドの形」を思い描いた上での行動なんだということが、急に理解できました。 求める世界に武器はいらない、と

前回までにデューイが何度も繰り返してきた「地表を覆うスカブコーラルを殲滅して我々の母星を取り戻しましょう」というプロパガンダはいかにも安っぽくて、正直、ちゃちな悪役にしか見えなかったのですが、 その一面で片づけられない部分を、今回のセリフのような形で突然「ちらっ」と見せる……こういう演出の手管がすごく多いアニメなんですよね、エウレカセブンって。

話の作り手(監督とか脚本家級のコアスタッフ)の中に、悪い人に引っかかってひどい目にあい続けるんだけど「無防備な一瞬にみせる素直なところとか、人づきあいが不器用なせいで誤解されて苦しんでいる姿とかを見ると、放っておけない」という「全自動ダメ女(or男)擁護機能」をアンインストールできなくて、苦労が絶えない人がいるとみました。

そういう属性を持つ人は、暴虐の連続の中にふと現れる「ちらっ」という優しさや素の表情にヤラれやすいんですよね。DVダメ男のホランドとか、今回のデューイとか、ツンデレ回路発動したアネモネとか、なぜかエウレカセブンにおいては「心理的ちらっ」の、これでもかという大サービスぶり。

僕がこのアニメにやられっぱなしなのは、きっとそういう性なんだと思いますが、自戒をこめて「悪女の不器用さなんて、惚れてる人以外の目にはワガママにしか見えない」という真理を書き加えておくのを忘れないでおきましょう。これが恋愛恐怖症クオリティ(苦笑) もっとありていに言えば、エウレカセブンは「対象:じらされるのが好きな人向け」アニメかもしれません。そうじゃない人にとって、これほどイラつくアニメはないでしょうから。

スカブコーラルをナウシカにおける腐海とみると、デューイは巨神兵で腐海を焼き払おうとしたクシャナの劣化コピーにしか見えないでしょうし、地下に本来のクリーンな地球が復活しているという世界構造もよく似ています。アラ探しが趣味の「批判家」がいっぱいのネット上では、とかくそういう点で叩かれやすいのですが、ツッコミどころを全部スルーして泣けた自分はラッキーだったと言うしかありません。

——というのをさらに強く感じたのは、たまたま夕刻、
  全く別種の「人が泣く場面」に出くわした時です。

日テレの「真相報道バンキシャ」を観ていて、チェチェン紛争で自分が殺される瞬間を撮影したカメラマンの最後の8分間のテープが流された後でした。コメンテーターで来ていた漫画家の倉田真由美の泣き顔のアップに……

僕は怒りさえ覚えましたね

このタイミングで司会の福沢朗が、このカメラマンに対して「ジャーナリストのしての使命感が……」などと言いだすものだから、もはや報道人の自己讃美にしか聞こえず怒り心頭! 何の圧力がかかっているのか知らないけど中国のチベット虐殺を報道しないおまえらがジャーナリズムの使命発言をするなど片腹痛いわ!と、一人でテレビを相手にヒートアップしてしまいました(汗)

なぜ僕があの映像を見て泣く人間を許せないかというと、
あのテープの中に記録されている「貴重な情報」を
まったく読み取っていない
(読み取る姿勢さえない)からです。

彼にあったのは報道者としての自己犠牲の精神なんかじゃありませんよ。完全にヤバい状況に陥ったことに気づくまでは、使命感や功名心も含めた「カメラマンとしての欲望」で身体が動いていたと思いますが、道路を挟んだ銃撃戦のなかに取り残されて、車の影でビデオカメラを回し続けた8分間の映像は、彼の「この状況からどう生還するか」という抜き差しならない「生死をかけた闘い」の記録なんです。

SONYcap
8分間のなかに「SONY」と刻まれたレンズキャップが偶然かぶさってしまったまま音声だけ記録されている時間がかなりあって、カメラにかまわず伏せて息を詰める動作に必死な様子が感じられます。彼が着ている真っ赤なセーターは、あえて民間人の報道者であることを示すものだったのかもしれませんが、もはや「だから撃たないでくれる」という免罪符にはならず、逆に標的として目立つ状況にあるという判断はなされていたのでしょう。やがて近くに車が止まるブレーキ音がして、状況を確認しようと動いた彼を狙撃手は見逃さず、まず足を撃たれてしまいます。セーターを脱いで太ももを縛り止血しようとする様子が揺れる画面の端に映り、その鮮血の赤の鮮やかさから動脈がやられたことは確実で、そのままだと失血死してしまうという彼の現実的判断が読み取れます。しかし、その動作で場所を悟られたのか、まもなく車を貫通する銃撃でとどめを刺されてしまいます。

この映像が突きつけてくるのは
「もし自分がその状況に置かれたらどう行動するか?」
というシビアな問いです。
だから、ちゃんと映像のメッセージに反応していれば、
泣いているヒマなんてないはずなんです。

コメンテーター・倉田真由美の涙は、
明らかに「他人事として見ている」証拠でしょう。

自分の命を大切にできない人間に他人の命を尊重することはできない。その現実的な第一段階をクリアせずに戦争の悲惨さを訴えても、しょせん、地に足がついていないきれい事にすぎません。

ま、しかし、

あの映像で泣いてしまった人に怒りを覚える人もいれば、
エウレカセブン48話を五回見直して三回目まで泣いた(恥)僕を
嘲笑する人もいるでしょう。

自分が殺される瞬間を撮影したカメラマンの最後の8分間で泣いてしまった人には、ぜひ村上龍の『五分後の世界』を一読したのちに再びあの8分間の映像と向き合って、刻まれた「情報」を読み取ってほしいと思うのです。

『五分後の世界』は第二次世界大戦で降伏せず、1994年に至って人口23万人に減少してもまだ戦い続けている、パラレルワールドの日本に迷い込んだ男の話です。「どうして戦い続けているんですか?」という問いに対する司令官のヤマグチの答えのなかに、ニューギニアやガダルカナルで戦った兵士たちは、日本の歴史上ほぼ初めて具体的に海外とかかわった人たちであり、生存さえ困難な状況で戦い続けたなかで彼らが得た情報をムダにすることは絶対に許されない。その民族が生きのびていくためには次の世代に大切な情報を確実に伝えていかなくてはならなず、そのためには戦いつづけるしかなかったのだ——というくだりがあります。

ぜひ原文で読んでほしいのですが、そこには人間の生存に欠かせない要素と戦争の原因となる要素の両方が存在し、並び立つ現実に嘘やごまかしが介入していないことが伝わってきて愕然とさせられます。つまり、戦争は、たぶん、永遠に、無くならない。

しかし「自分が生きのびること」の肯定が、そのために自分以外を蹴落とすのではなく、共に生きていく方向に帰着するよう努めることは可能です。

「生きよう、一緒に」

エウレカセブン48話が示したのはそんな可能性の一端だったと思います。
あれは具体的方策がないご都合主義だって?
それはテレビの前を離れた僕らのリアルで考えればいいことじゃありませんか?

今回が最終話なら「素敵なハッピーエンド」でしたね。
でも来週の、ほんとうの最終話には、
「現実的なハッピーエンド」を見せてほしい。

もしそのハードルを越えてくれたら
『交響詩篇エウレカセブン』は「神アニメ」認定です。個人的に。

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2005年12月 5日 (月)

「うろおぼ絵」でスポック

Spock昨日「コバヤシ丸テスト」のことを思いだしてからというもの、すっかり『スター・トレック』を懐かしむモードに入っております。

今日はウチに帰ってくるなりMacのillustratorを起動して、記憶を頼りにマウスをぐりぐり動かし、ベジェ曲線でMr.スポックの「うろおぼ絵」を描いてみました(所要時間5分)

スポック役を演じたレナード ニモイの著書『わたしはスポック』の表紙をAmazon.co.jpで確認し、それほど大きくハズしてないのに安堵して恥ずかしながら載せてしまうのですが(笑)、これは眉、髪型、耳など、スポックのキャラが見た目にも立ちまくっていたゆえの、レナード ニモイ側の勝利でしょう。僕の記憶力や絵描き能力などは微々たるものです。

さて、『スター・トレック』と並ぶ宇宙モノといえば、いまだに高い人気を誇る『スター・ウォーズ』シリーズがあるわけですが、スタトレの「コバヤシ丸テスト」よりも、はるかに『スター・ウォーズ』の「ジェダイ」や「フォース」といった「用語」のほうがメジャーなわけで、どうにも歯がゆい思いが湧き上がります。

『スター・トレック』に何が足りなかったんでしょう? 
やはりロマンス?
ムムぅ、そればっかりは……論理的で7年に一度しか発情しないヴァルカン人のスポックがメインキャラじゃ(笑)とあきらめムードにひたりつつ、自分のMacの中をSpotlight(文書の中味まで検索できるMacの自己サーチエンジン)でいろいろ検索していたら、『スター・ウォーズ』のレイア姫の中の人(キャリー・フィッシャー)が書いた小説を読んだ——という1998年のWeb日記を発見してしまいました。

しかし、恐るべきことに僕はホントすっかり忘れていて、
レイア姫が書いた小説があるということすら初耳のように感じたのです(汗)


1998.11.29
スターウォーズのレイア姫役で知られるキャリー・フィッシャーが書いた『ピンクにお手上げ』を読みました。とてもウイットに富んだ面白い恋愛小説でした。こんな書き出しなのだけど——

ダイナ・カフウマンは3回のセックスで処女を失った。大変すぎて3回もかかったというわけではなく、処女を失うことに何か意味があるんじゃないかと考えていて、3回目でやっと意味のあるセックスに出会ったような気がしたのだ。

主人公のダイナは、恋愛とは居心地が悪くて神経が疲れて落ち着かないものだという妄想というか思い込みに悩んでいるワケですが、すべてが行動に直結するところがすがすがしい。ちなみにぼくはその妄想から逃れたとたんに恋愛欲が50%くらいリストラされてしまったぞ。困ったものだ。

まったく困ったものです。他人が書いた捏造日記なんじゃないかと真剣に疑うくらいぜんぜん思いだせない(汗) Amazon.co.jpで確認しても『ピンクにお手上げ』なんて本はないので、これは夢日記確定か!? とも思ったけれど、徹底的に調べたら絶版になっているだけでちゃんと文藝春秋から出ていたらしい。

となると、今現在のこの僕は
1998年の僕とは連続していないという結論でOK?

スポックならそうみなすだろうな。彼の論理的な言葉によれば
「差異を生じない相違は、相違ではない」のだから。その逆証明。

——そんな調子で、どんな場面でも感情を排して論理的判断を下すスポックだからこそ、『スター・トレック=ザ・モーション・ピクチャー』(ノベライズ版)のラストシーンのセリフみたいな「例外」が最高に生きてくるんですけどね。


 クルー「艦長、進路を決定してください」

 カーク艦長「向こうだ。あっちのほうさ」

 Mrスポック「最高に論理的な選択です、艦長」

……スポックかっこいいよスポック。
 今さらDVD買っちゃおうかな。もう1600円以下で買えるし。

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2005年12月 4日 (日)

小林丸

いま「小林丸」でググっても、僕が望む小林丸はぜんぜん上の方でヒットしませんね。そりゃそうか。それにしてもホントに「小林丸」って名前の船が存在するとは思わなかった。もちろん中性子タンカー宇宙船などではなく、ただのイカ釣り船だったりするんですけど(笑)

学校の先生という職業上、レポート課題やテストのために問題を考えることが多々あるわけですが、

「絶対に解けない問題」

という概念を示した時、僕と同世代(1970年前後の生まれ)でSF好きだった人なら、きっと

「ああ、小林丸テストね」

と言ってくれるような気がします。

元ネタは、映画『スタートレックII カーンの逆襲』(1982年)に出てくる宇宙士官候補生への最終テスト。どんな選択をしても必ず最後には宇宙船・小林丸が沈むように仕組まれているのですが、そこでどんな対応をするかが評価の対象になっているわけです。「多数の利益のために少数を見殺しにできるか?」というジレンマから逃げられない小林丸テストは、どの時代にも共通する象徴的難問と言えるでしょう。

しかし、もはや「コバヤシマルテスト」はジェネレーションギャップの中に消え去りつつある言葉です。

たぶん、10年後には

「ATフィールド」

という言葉にも「ああ、心の壁ね」と反応できない世代が育ってくるのでしょう。

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2005年12月 3日 (土)

Mr.& Mrs.スミス

ええと、バイクのオイル漏れの話を書いたのは……9月23日のエントリでしたね。ようやくイギリスから対策パーツが届いたとの知らせが来たので、バイク屋にボンネビルT100を預けてきました。やっぱり悠長だな、イギリス人。

帰り道ちょっと江古田校舎に寄って、来週水曜日に迫った江古田文学賞授賞式のための下準備。

横断幕をポスター用プリンタで出力したり、賞金を金庫に入れたり(!)一通りの仕事を済ませて一度帰宅してから、夜、公開初日の『Mr.& Mrs.スミス』を観に行きました。 

運命的な出会いで恋に落ち結婚した二人。建築家のジョン(ブラッド・ピット)と腕利きプログラマーのジェーン(アンジェリーナ・ジョリー)。ごく普通の家庭を築いた二人だが、実はお互いに知られてはならない秘密があった。二人はプロの暗殺者だったのだ! どんなに愛するパートナーでも正体を知られたら 48時間以内に抹殺するのが組織の掟。壮大な夫婦喧嘩は、巨大組織を巻き込んでの戦闘へとエスカレート。二人の運命はいかに……

というエンタテインメント。デレデレのカップルならば、この冬ふたりで観に行く映画として申し分ないチョイスでしょう。しかし、ワケありな人を誘って観に行くのはかなり危険です。まったく何のつもりで自分はこの映画をセレクトしたのかと居ても立ってもいられなくなり、上映中に気が狂ったフリをして「びっくりするほどユートピア!」と連呼しつつ、つまみ出されたいと思うくらいヤバかったです(アワワワワ)

同じターゲットを狙う商売敵として鉢合わせした殺し屋が、じつは自分の妻/夫なんじゃないかと疑い始めたのちの食卓シーンみたいな緊張感が、スクリーンのこちら側でも展開するわけですよ。映画館のシートの隣同士で(汗) 

このシーンで「あのこと」を思いだしてイヤな気分になってるんじゃないか……と気をもんだり……そう感じてるのが自分だけならいいんですけど、すげぇ嫌味としてこの映画に誘ったんじゃないのかコイツ!と思われてたらヤだなぁ、とか。

いやはや、

もうなにがしたいのか自分でもわがんねーて感じ。
今日の、このアタマの悪い子と
昨日ストーリーアナリストの講義をしていた人と
中の人が同じとはね。

やれやれ。

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2005年9月15日 (木)

逆境ナインと雪風における「省略法」

映画を先に観てしまった『逆境ナイン』。映画で面白いと感じたならぜひ原作コミックも読むべし!と多方面からの熱いススメをうけて、この夏、新装版で全巻買って一気に読みました。

面白かった——と同時に、こんなに面白いエピソードがたくさんあるのに、映画版ではバッサリと切り捨てられている部分がたくさんあることに恐れの感情すら抱きましたね。もったいないという感情ではないです。先入観なく純粋に映画を楽しめた僕としては、映画の枠に収めるために魅力的なキャラクターや場面をサックリ捨てられる脚本家や監督の決断力の強さに、やられた!という恐れの感情を抱くのです。

もちろん、惜しげもなく捨てたわけではないでしょう。
コミック2巻の、テスト補講日と地区予選日が重なっている事実を前にしてキャプテン不屈闘志が赤点回避のため猛勉強するシーンのように、苦渋に満ちた選択だったと思います。ちなみにこのシーンも映画ではカットされているのですが、監督のサカキバラゴウ先生から「1科目につきカード一枚分くらいは覚えられるだろう。4日間でここにまとめろ」という示唆を受けて、試験範囲をこんな小さなカードにまとめられるわけがないと思いつつ、不屈闘志はチャレンジします。

——カードに収めるためには大幅に項目をカットしなければならない。断腸の思いでカットしていく不屈。まるでそれは部員の中からレギュラーメンバーを選別していく作業そっくりで、落ちた者への申し訳なさが心をとらえるように、かえって教科書のカットした項目が不屈の心をとらえてゆき、知らず知らずのうちにテストの範囲とひとつになってゆく——

映画制作でも、すさまじいまでの場面カットを行いながら『逆境ナイン』原作の本質とひとつになる奇跡が起こったのだと思います。まさしくやる気パルスの同調!(このパルスの説明も、男球〈おとこだま〉の理屈も映画では省かれてました。普通の感覚では思わず解説したくなってしまうだろうに……展開のリズムとスピードのために涙をのんでカットしたのでしょう)

原作モノの映像化ということで、もうひとつ触れずにはいられない作品が、神林長平のSF小説「戦闘妖精雪風」をアニメ化したDVDシリーズですね。先日(8/25)にリリースされた5本目で完結しましたが、こちらも『逆境ナイン』に負けず劣らずの省略っぷりでした。

もともと神林長平の小説が「叙述コミュニケートSF」とでも呼べるものなので、原作ファンのなかにはCGバリバリの空戦アニメがお気に召さない方がたくさんいたようですが、そういう人はいったいどんな映像を期待していたのでしょう? 原作は小説にしか創出できないことをやっているのだから、そのままの映像化なんて絶対無理だと思います。神林マジックは言葉が一人一人のなかにそれぞれの現実を創出する技なのだから、10人いれば10の映像が脳内にできる。映像作品がやろうとしていることとは異質のアプローチです。

ま、そう言いつつも、原作『グッドラック』で100ページ以上を費やして書かれていた不可知戦域でのジャムに対する雪風の賭けが(いい展開なんだこれが)わずか3分でなんの解説もなく描写されてしまったのにはビックリ仰天しました。さすがにこの省略法を、原作を先に読んでも映画を先に観ても楽しめる『逆境ナイン』と同じ手法とは言えませんね。原作を読んでいないと、あの3分間を「とてつもない緊張状態」としてとらえ、興奮することは不可能でしょう。

つまりアニメ版『雪風』に対する結論としては、原作を先に読め!と。

原作は、とくに二巻目の『グッドラック』は神林長平を読み慣れてない人にはツラいかもしれませんが、あれを読破して面白かったと思える人なら、ぜひアニメ版も観てください。なんで原作ファンからあんなに叩かれてるんだろう? DVD4巻目の空戦シーンなんて素晴らしいと思うけどなぁ。

いままで、どんなアニメや映画でも「ロングレンジのミサイル戦闘なのに、とっくみあいのケンカのような距離感」に見える絵作りがされていて、まぁ、演出上しかたないのかなぁ、とあきらめてましたけど、雪風 DVD4巻目を観て目からうろこが落ちましたよ。まっこうから「ロングレンジの戦闘」に挑戦しつつ、ちゃんと緊迫感のある映像になってるんです! 僕はあれでGONZO見直しました!

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えー、身辺報告。一時は真剣に筆談器導入を考えましたが、
ようやくしゃべっても殺人的な咳が出なくなったので今日から職場復帰しました。
関係各所にはご心配おかけしましてどうもすいませんでした。

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