2005年7月18日 (月)

小川範子結婚・高校生・すべてはあそこからはじまった

-------
女優の小川範子さんが結婚 TBS社員の53歳社員と

 女優の小川範子さん(31)が、TBS社員でドラマ演出を手掛ける吉田秋生さん(53)と結婚したことが17日、明らかになった。
 所属事務所によると、2人は小川さんが13歳のときに仕事を通じて知り合い、最近交際を始め、1日に結婚届を出した。小川さんはテレビドラマ「はぐれ刑事純情派」で、18年間にわたり主演の藤田まことさんの二女役を演じた。
(共同通信) - 7月17日
--------

小川範子……
世間一般の認識としては、
80年代後半-90年代の美少女アイドルブームの時代に
メジャーになりきれなかったアイドル——程度のものだと思う。

しかし、彼女と、彼女をプロデュースしていた
トーラスレコードの河西さんの存在がなかったら、
現在の僕は日芸で教壇に立っていなかっただろう。

昨日、小川範子結婚のニュースがYahooのトップに載り、
僕は久しぶりに、自分が北海道を出て上京した理由を思いだしたのだった。

昨日は所沢でオープンキャンパスを行い、おかげさまで大盛況、たくさんの高校生に模擬授業へ参加していただいたのだが、彼ら彼女らの年齢のころ、僕は北海道で「作詞家になりたい」という欲望をかかえた高校生だった。いま教える立場になったばかりの僕は、どちからというと「人に認められなくても、良い作品はある」という慈悲の気持ちより「良い作品だと思うなら、人に認めさせる工夫をしろ」と焚きつけるスタンスで学生に接している(つもりだ)。これは高校時代から変わっていない。いくつかの職業を経験し、齢もとって、多少ナマイキさは薄れたかもしれない。でも、基本的にメジャー指向なのだ。

高校時代(1986-1989年)を過ごした苫小牧東高校における音楽(聴くほうではなくやるほう)の状況は、とにかく「速弾きできるヤツがエラい」という方向に傾いていた。となると僕は壊滅的に楽器が弾けなかったので、カースト最下層なわけだ。そこでこのヒエラルキーを駆け登るには、「プロデューサー」あるいは「作詞・作曲」役として実力をつけるしかない。僕はもてる「乙女言語能力」(童貞ってのは基本的に乙女なのだ。男の乙女は醜い、これは仕方ない)を駆使して、高校生の雁首をキュッと絞める(殺?)数々の名歌詞を生み出した。(自分で言うなよ)

そこでいい気になっていては若者としてはダメなんである。
結局、地方の高校のせまい世界のなかの話しだ——と、当時かなりナマイキだった自分は考えた。メジャーになるのだ。松本隆や森雪之丞と同じフィールドで作品を出さなければ意味がない。

そのためには……どうすればいいんだ?
作家になるなら新人賞があるけど……

よい方法が思いつかない、そんなある日のこと。
A5版サイズのアイドル雑誌「Dunk」に、アイドルとマネージャーまたはプロデューサーがコンビで取材を受けるコーナーがあった。今では考えられないことだが、そこにプロデューサーの名刺が、「○○さんの名刺はこんなのです」と毎回さらされていたのだ。ちょうど2時間ホラーTVドラマ「魔夏少女」で小川範子にハマっていた僕は、たまたま小川範子が載っている「Dunk」を買い、そのコーナーを目ざとく発見したのだった。

無謀にも、僕はすぐさま「小川範子」のアルバムを想定した詞集と企画書を制作、アルバムジャケットのデザインまでして、彼女のプロデューサーの河西さんに、名刺画像から読み取った会社の部署にアポなしで送りつけたのである。

無謀という字のまんまホントにメチャクチャな作戦行動。
いま思い返しても、若いっつーのはおそろしい。

しかし、しかしだ、
ある日の夕方、青木家に電話がかかってきた。
母親がとり「なんかトーラスレコードの河西さんって人から電話」という。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!  (2ちゃん誕生はこの10年後だが)

北海道の文化不毛の地・苫小牧に住む高校生のもとに、
「いやー、おもしろいから他の作品もあったら送ってみてよ」と
メジャーな世界のプロデューサーから電話がかかってきたのだ。
ほんの3分くらいの電話だったと思うが、そのとき、僕の心は固まっていた。

  東京に行く。

それから間を思いきり中略して、いま、
日大芸術学部で未来のアーティストの卵を焚きつける仕事についてる。
人生なんて、なにがきっかけでうまく転がっていくかわからないものだ。
確実に言えるのは、なにもせず待っていてもダメ。これだけ。

思いきり自分語りになってしまったけど、

小川範子さん、おめでとうございます。

そして河西さん、ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)