2008年1月24日 (木)

1/24はMacの誕生日…で、ハンマーの代わりにネギを投げてみたり

1月24日は、今ではすっかりMacとしか呼ばれなくなった、
マッキントッシュ・コンピュータの誕生日です。
それは1984年のことでした。

誕生日の二日前、1984年1月22日、
スーパーボウル(全米フットボールの王座決定戦)
の第三クオーターの途中に、こんな奇妙なCMが入り——

全米が泣いた……なんてことはなく、たぶん、戸惑ったことでしょう。

 

独裁者ビッグブラザーの演説が朗々と響き渡るホールに
個性を奪われた民衆が集い、
じっとスクリーンを見つめています。

 諸君! 君たち一人一人が
 偉大な肉体であるこの国の細胞の一つ一つにあたるのだ。
 そして今日、この偉大なる肉体は、
 その中に巣喰う寄生虫を退治した。
 我らは事実が無節操にばらまかれることに
 見事終止符を打った。

 あらゆる細胞たちよ、喜びたまえ。
 この日を栄えある「情報浄化指令」の
 記念日として祝おうではないか!

 我々は歴史上初めて
 「純粋なイデオロギーの庭園」を創造したのだ。

 ここでは、一人一人の労働者が
 矛盾と混乱に満ちた真実という害虫に襲われることなく
 美しい花を咲かせるであろう。
 思想の統一という武器は、地上のどんな軍隊よりも強力だ。
 我々は一つの人間なのだ。
 唯一の意志、唯一の決意、唯一の主張をもつ存在だ。

 我々の敵は自らの議論によって滅びるであろう。

 我々は、奴らを、奴ら自身の混乱とともに葬り去る。
 勝利するのは我々だ。


しかし警備の制止を振り切って一人の女性が駆け込み、
ハンマー遠投でビッグブラザーの演説スクリーンを粉砕します。

19840124

1月24日にアップルはマッキントッシュを発売します。
そして、
1984年が『1984年』のようにはならない理由をお見せします。

ダークな管理社会を描いたジョージ・オーウェルの小説『1984年』をモチーフに、「ブレードランナー」のリドリー・スコット監督の手によって撮られたこのCMは、真のパーソナルコンピュータ誕生の強烈な産声となりました。

情報管理による人間の統制に使われることはない、
個人の自由な発想を形にするための道具としてのコンピュータ。

それがMacなのだと。

当時は、IBM(その名もインターナショナル・ビジネス・マシーンの頭文字!)に代表される事務機こそがコンピュータで、アーティストの道具だと考える一般人は皆無だったのです。だから、この独裁者ビッグブラザーはIBMの暗喩なのですが、2008年の今なら、なんでしょうね?

こんな感じかな?

Miku1984

こんな絵を描くとまた
「先生なにやってるんですか!?」って言われそうですが
すいません、あんまり自重してないです(汗)

むしろこのネタで「初音ミク版1984」を誰か作ってくれないかな、
と思うくらいですよ。

この絵の背景については
【ここ】とか見ると解りやすいかな。

ちなみに、初音ミクの声の素を担当した
藤田咲さんも1984年生まれなんですよね。
ちょっとした偶然。

- - - - - - - - - -

そうそう、体験版の期限14日間が過ぎてしまったので
うっかり買ってしまいましたよ、
正規版の初音ミクを……

この歌↓みたいな事態になるのは目に見えているのにね(汗)

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2008年1月10日 (木)

卒論卒制提出日です

提出日だっていうのに、
まだ書いてる悪い子はいね〜が〜

ハチクロの森田さんみたいに、
半ば故意に留年しようとしてる学生もいるんでしょうけど、

正直、ウチの学費は安くはないぞ!

そんなわけで提出日をにらんで、
昨日の文芸コンピュータ室は卒論印刷・製本の学生でにぎわってました。

そこで2年次に僕のゼミ生だったN藤君から(いやぁ、もう卒業なんだねぇ)こちらのエントリに書いた江古田文学の特集「名無しの才能」用の草稿をもらいました。卒論で忙しかっただろうに、「『またおまえかw』 という『名づけ』」に注目して展開したアイドルマスター論はなかなか面白かったです。ありがとう。完成稿を待っています。

文芸特殊講義IXの受講生みなさんのレポートも明日1/11提出なので、楽しみにしてます。

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2008年1月 4日 (金)

【業務連絡】文芸特殊講義IXの課題 と 江古田文学の原稿募集について

そろそろ正月気分ともサヨナラしなくちゃいけませんね。
明日の夜には、僕も東京に戻って新年の仕事に備えます。

そういえば東京の自宅のフレッツ光の具合がおかしくてネットが使えないのでした。ニコ厨にはツラい……じゃなくて(汗) 今のうちに業務連絡を……

というわけで、一週間後が提出期限の僕の授業の課題を掲載しておきます。
元日のこのブログでも書いた、ニコ動を巡る特別講座と連動した課題で、以下、その際に配ったチラシの文面を全文転載します。課題は後半にあります。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■  

文芸特殊講義IX  特別講座
2007年12月7日(金)13時〜

「ニコニコ動画に集うクリエイティブ」
特別講師
中澤友作株式会社ドワンゴ 広告宣伝部

◆◆◆この特別講座に寄せて◆◆◆ 
   青木敬士・文芸特殊講義IX 担当講師

「無題」という作品はどんな美術展でも目にはいりますが、
名無し作家の作品にはめったに出会えません。

それは「あの人の作るものならば間違いない」というクオリティを保証するもの=ブランドにまで作家名が高まらなければ、なかなか美術館収蔵という権威の壁を越えられないからです。

そのような権威とは無縁な場所で、いま、最もホットに作品発表と批評が行われているのが、ネット上の「ニコニコ動画」です。

アップされた動画の画面上にリアルタイムに感想が書き込まれていくシステムは、作品のアイデアやクオリティ次第で、一夜にして数万人の視線を集めることも可能なステージなのです。

不思議なことに、そこで発表する人々は自分の名前を前面に出そうとはしません。

お金がもらえるわけでもない場所で惜しみなくハイクオリティな作品をアップする名無したちに向かって、ネット住民は畏敬の意をこめて「才能の無駄遣い」という賛辞を贈ります。かつてネットを捉えるキーワードだった「匿名」という存在からニコ動の「名無し」への進化を、いま僕らは目にしているといえるかもしれません。

◆◆◆文芸特殊講義IXの後期課題について◆◆◆

今回の特別講座とも関連しますが、
文芸特殊講義IXの後期課題は
「名無しの才能」をテーマとします。

2008年2月末発行予定の「江古田文学」67号特集「名無しの才能(仮題)」と連動した課題で、優れた論文、レヴューや紹介記事を提出していただいた方については、「江古田文学」の特集に採用させていただくこともあります。

書店売りもある市販文芸誌に文章が載る機会でもあるので、他者を惹きつける・他者に読んでもらう文章を意識してテーマに挑戦して下さい。(特殊講義IX受講者以外の方の寄稿も歓迎します)

形式は自由ですが、以下に考えられるいくつかのパターンを例示——

・ニコニコ動画をはじめとするネット関連のクリエイティブはもちろん、印刷媒体の同人誌(二次創作含む)や、同人ゲームなど、「すでに確立しているメジャーブランド」によらない創作者・創作物について、レヴューや批評を紹介記事的な形で書く。動画をYouTubeやニコニコ動画にあっぷしてみた、といった体験レポート的なものでもOK。

・対価をもらわずにハイクオリティな作品をアップする素人が大挙してくる時代にプロはどう生き残るべきか、といった考察論文などもOK。

・プロの作品も、二次創作やパロディとして消費されることを前提としたつくりにシフトしているのではないか(踊りをまねられることを期待したアニメのオープニングなど)などの切り口から、メジャー作品と「名無し」の関係について考察することもテーマに含めます。

●提出期限は2008年1月11日(金) 授業時
メールでの提出もOKです。
aoki-kc@nifty.com(青木敬士)まで。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

以上です。

上記文中にもありますが、江古田文学の特集「名無しの才能」については、一般の方の原稿も歓迎いたします。(江古田文学は寄稿によって成り立っている雑誌ですので、原稿料はお出しできませんが、執筆者に掲載誌は進呈いたします)

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2008年1月 1日 (火)

【元旦】ニコ動&ボーカロイドの年を振り返って

無事新年を迎えることができました。昨年度お世話になったり楽しませてくれたみなさま(人間以外も含む)にありがとう。

自分でこんなネタ絵描くなよ(汗)って感じの年賀画像をどうぞ(絵は芸祭本に提供したやつの使い回しだったり…汗)しょこたんがホントはアンドロイドだったら青木先生の負けw

2008nenga

2007年を振り返ってみると、まさにニコニコ動画(1歳)の拘束具を引きちぎったような成長と、そこに突如降臨した電脳の歌姫・初音ミク(0歳4ヶ月)の活躍に染めぬかれたような年でした——僕の個人的印象では。

Ncnc071207 12月7日には、ニコニコ動画の広報担当・中澤友作さん(個人的な知り合いでもあるんですが)を僕の授業枠に招いた特別講座を実現させることができました。90人教室で立ち見が出るくらい盛況で、ニコ動に対する学生の関心の高さがビシビシと伝わってきましたね。もともと日大芸術学部 文芸学科で僕が担当している文芸特殊講義IXは、普段からネットコミュニケーションやサブカルチャーをメインに据えているので、ニコ動の「中の人」がやって来る」となれば、満員御礼も当然といえば当然。

ニコニコ動画一年の歴史を象徴する動画を映写しながらの、楽しくも濃ゆい特別講座になりましたが、事前に中澤さんと打ち合わせていたなかで、僕の側から「できることならこれは入れたいんだけど」と持ちかけていたのは、
「ニコ動はたしかに面白いけど、その理由に、著作権のしばりを無視した元ネタの自由な引用と編集があることは否定できない。でも、アンダーグラウンドを気取って大人の事情を通さないでいたら、法律の力で、みんながいま遊んでいるこの世界ごと消滅させられてしまう。そうならないために、『中の人』たちは、たとえカッコ悪くみえても現実的な策を考えてるんだよ、ってところを学生に気づかせられないかなぁ?」ということでした。

この特別講座の前の週までに、同じ授業枠で、アメリカの911同時多発テロ(2001年)を先取りしたかのような押井守監督のアニメ映画『劇場版パトレイバー2 the Movie』(1993年作品)を見せて、

「911は犯罪として扱うことができたはずなのに、アメリカは戦争として扱ったためにその後の混迷を招いた。それに対し、パイレイバーの後藤さん筆頭とする警察官は、あくまで事件を「犯罪」として扱い、自分たちが依って立つルールの範囲内で最大限の戦いをした。そこに説得力つきのシブい格好良さがにじみ出てくるのが感じられない?」という趣旨の講義をしたのは、じつは偶然ではありません。(ちなみに911犯罪論については、大塚英志さんが『「戦時下」のおたく』で深く突っ込んでいるので、興味のある方は一読を)

ニコニコ動画という遊び場がいくらアナーキーでも、それを「存続させよう」と思うならば、自分とは違う理屈で動いている人たち(コンテンツ権利者やJASRACなど)をも納得させられるルールを考えて、最良の策を練る大人役がいないといかんでしょ?という流れを考えてのことです。(ちなみに僕は『グレンラガン』で一番好きなキャラがロシウなんだよね)

黙れJASRAC!表現の自由の敵!正義のドリルで天を突くぜ!と全面戦争するのはフリーダムなネットユーザ的にはカッコいいけど(ゴメン、僕もちょっとそう思うけど)んなアメリカンな……ってことですよ。

または、ノンポリなユーザたちは「ニコ動が消えてもまた別のが出来るからそっちに移住するさ」というかもしれないけど、いつまでも盗人扱いされ続けるのも気持ち悪いでしょ?ってことです。

その回答として「リスナーを音楽泥棒扱いするのは間違っている。適切な課金でちゃんとアーティストに還元されるシステムをつくれば、誰も罪人扱いせずにみんながハッピーになれる」と、アップルのジョブズはiPodとiTunesを世に問うたわけですが、僕は日本においてニコニコ動画にその種の改革をおこしてほしい。そんな期待をこめてこの特別講座を企画しました。

とくにボーカロイド・初音ミクによるオリジナル曲については、まったく著作権問題に抵触せずに名無しクリエイターたちの才能を目覚めさせたという点で、マクロス的な意味で「ミック・デカルチャー!(ぶ、文化だ)」と叫び出したくなるくらいに衝撃的な文化の芽生えだったわけです。なので、年末の初音ミク楽曲配信JASRAC登録問題は、ちょっと残念だったんですが、ニコニコ動画には名無しの才能の釣り堀(って言葉が悪いか)として「きちんとした形で」存続してもらいたいわけです。

だけど日芸の学生たちは正直というか……実際の特別講座の時、中澤さんがJAMプロジェクト(権利者からの「自由に改変していいよ」という許諾のもとで行われた二次創作としてのリミックス祭り)について話し始めたとき、学生たちの空気がちょっと引きぎみになったのには、僕も内心苦笑してました。「お仕着せ」が嫌いな気持ちはこちらも重々承知。(中澤さんも僕も日芸出身だしね)もし禁を破ってUPするなら自己責任の覚悟をもってやれ、っていうのが本音かな。

だから文化庁方面のダウンロード違法化論議は「逆の意味で」寝言は寝て言え!って感じです。覚悟の討ち入りアップロード&切腹もさせないつもりか? どんだけ過保護なんだこの国は?……って、ちょ、話が暴走脱線気味ですね、スミマセン。

こういうことを考えるときに、よく僕の頭に浮かぶ言葉があります。所ジョージが雑誌『ライトニング』(Vol.13・1995年5月号)の「全国不良オヤジ発掘」で受けていたインタビューなんですが、そこで、所さんは

『世』の外に出るのはスゴイ簡単なわけ。不良ってのは『世』の中でやってるからカッコいいのであって 、犯罪を犯したりとかは『世』の外なわけ。それを見て、世の中そういう奴はいるんだよ、まいった世の中だな、っていうけど、それは『世』の中じゃないの。外なんだからカンケーないの、そんな奴は。カンケーない奴ほどカッコ悪いことはないわけ。で、カンケーないって見られるのはスゴく簡単なことなの。そーじゃなくて『世』の中で評価されなくちゃ。そうするとスゴく難しいことなんだと思うよ

と「不良」について語っています。
ニコニコ動画には、
いつまでも不良でいてほしいですね。(←所さん的な意味で)

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  ※この特別講座で配ったプリントの内容を
   こちらに転載しました→■クリック■

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2006年11月24日 (金)

文特講IX 後期課題は「人ならざるもの」

今年はおかげさまで文芸特殊講義IXの受講者が去年の3倍近くに増えたので、講義のかたわら、この時期になってもまだ前期の講評を続けています。

昨日は勤労感謝の日でしたが、感謝するヒマもなく江古田文学の最終校正にあけくれて寝不足だったので、今日の僕の講評は自分でもおかしなテンションで脱線しまくりでした(汗)  面白がってくれた学生もいたとは思いますが、僕が挙げる参考作品がどういうつながりで出てきたのかさっぱりわからなかった人には災難だったかもしれません。

その脱線話のなかで日本のメディア芸術100選の漫画部門に

『風と木の詩』が入ってないのはどういうことだ!

とやたらにループしていたような気もしますが、
あれは本当に良いものです。

それまで無かったジャンルを創出する際につくられた作品というのは、古い価値観にとらわれた人をも納得させられるだけのクオリティが必要とされるから、自然と完成度を備えた名作になるんだということの良い証明でもあります。

(しかし、授業のあとである学生さんから
 頼むから『風と木の詩』をボーイズラブのくくりには入れないでぇ〜
 と懇願されました(汗)  うん、わかる、その気持ち。
 授業のなかではいちおう少年愛ものって言ってたつもりなんだけど、
 ちょっと口がすべったかもしれず……)

さて、師走の足音も聞こえてきたので、そろそろ後期の課題も出さないと……

というわけで、本日発表。

後期の課題は「人ならざるもの」です。

昨年度の「擬人化・擬物化」とオーバーラップさせつつ、テーマの範囲を拡げています。参考として、「擬人化・擬物化」のレポート講評をサイトにアップするついでに、文芸特殊講義IXの固定ページを作ってそこにまとめてみました。

■青木KCの授業・文特講IX… トップページはこちら■です。

ブログのサイドバー特設ページにも常駐させてますのでどうぞよろしく。
今年も僕に「予想ガイです」と言わせる作品を期待してます。

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2006年11月10日 (金)

バトルオブシリコンバレーとライセンス料の甘い罠

Pirates_of_silicon_valley_2
パーソナルコンピュータが世界を変える力になると直感した二人の青年、スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツ。アップルとマイクロソフトを立ち上げた二人のライバル関係を描く再現ドラマ
『バトル・オブ・シリコンバレー』
を今年も文芸特殊講義IXで学生に観てもらっています。

二日前にナマ富野由悠季カントクの講演を観たばかりなので、どうしてもジョブズのキレたカリスマっぷりにカントクの姿がダブります。

一方、ビル・ゲイツは、開発したソフトをまるごと高額で大会社に買ってもらうことよりも、版権は渡さずソフト一本ごとに小額のライセンス料をいただく方式にこだわりました。

もし富野カントクがビル・ゲイツのように「ガンダム」の商標権を自分で所有していたとしたらどうでしょう? ガンダムのプラモデル一個につき5円のライセンス料だったとしても、恐ろしいほどの小銭が集まって山と積まれるはずです。

一昨日「60歳でようやく家が建ちました。おめでとう」とカントク自身が自嘲気味に話していましたが、逆にオモチャ屋にしいたげられた逆境がなかったら、65歳の現在までバリバリ現役でやっている富野カントクは存在しなかったんじゃないでしょうか?

『バトル・オブ・シリコンバレー』上映後、このドラマのエンドでは負け組のジョブズが現在iPodで気を吐いていることに関連して、正当なリスナーを頭からコピー泥棒扱いしてる現在の音楽利権ゴロに対する怒りをぶちまけてしまいました。自分としては冷静に話していたつもりなんですが、思いきり長くなって途中でチャイム鳴っちゃいましたね(汗)

そうそう、余談ですが、ネットで見つけたビル・ゲイツのスピード違反逮捕画像を見せて、一緒にシド・ヴィシャスの画像が出たときにも言ったんですが、『NANA』が好きなのにシドって何者?という人がいたら、いますぐにでも映画『シド・アンド・ナンシー』を借りてきて観るべきです。

ピストルズのファンには不評だったり、いろいろ映画としてどうなのよ、という声はよく耳にするけど、若い頃に観ておくべきっつーか、若い頃に観ないとつまらない映画というのがあって、『シド・アンド・ナンシー』は確実にそのたぐいの映画です。

ちなみに僕も観たのは19歳の時。
見終わったあとの空虚感が満たされなかったら、
漫画『デトロイト・メタル・シティ』でも読んで笑えばいいと思うよ(笑

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2006年6月22日 (木)

今年の前期課題は「記憶と記録」ですが

文芸特殊講義IX・去年の前期課題、
「模造記憶」の全員講評をWeb公開しました。
(Web公開にあたって学生氏名をイニシャルにして伏せてあります)

←サイドバーに〈特設ページ〉項目を作りましたので、
 そこから飛んでください。

今年の前期課題

「記憶と記録」をテーマにしたテキスト表現。

(ショートストーリー、エッセイ、詩など、形式は問わない。
 紙の平面上に収まるものであればビジュアルを含めた作品も可)

……からそれほど遠くないテーマなので、どこまで発想を拡げていいのか?——の参考になるかと思います。

ちなみに明日の文芸特殊講義IXですが、
先週「記憶と記録」の領域へ入り込む作品として「serial experiments lain」を見せ始めると予告しましたが……すいません!

先週の「攻殻機動隊」から派生して、
現代日本の戦争への関わり方を、
曲芸的に「YouTube」問題につなげて講義するために、
意外なものを見せます。

 1941年のアメリカ製アニメと
 155話続いた、ある日本アニメの最終回。

後者はすぐピンとくるツワモノがいるかもしれません(汗)

では明日教室でお会いしましょう〜

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2006年6月 4日 (日)

そこ、メタフィクション禁止!

この日曜日は夕方から学生と飲みなのです。
去年、文芸特殊講義IXの授業をとっていたメンツですね。
こないだの授業時間、教室の後ろでハルヒダンス踊ってた不届き者2名(苦笑)も含めた5名で所沢のS藤君宅につめかけて飲むというリアル学生ノリは、さすがに久しく味わってない感覚でした。

「セカチュー」が流行っていた頃、
実習中にナンパ行為をしている学生に対し、ラブコメ禁止の意味をこめて

そこは世界の中心か!? 

とツッコミを入れたことがありましたが、
僕はこの飲み会の席で、新しいツッコミ用語を発明しました。
周囲の目を意識して一線を超えない寸止めのイチャつきっぷりを見せる学生カップルに対し、

そこ、メタフィクション禁止!

つまり、アレです、ビデオなんかのあらゆるラヴシーンにおいて、画面に映っているものを素直に受けとめられる実用的な感性の持ち主には無縁な悩みでしょうが、画面のこちら側にわんさかいるはずのカメラマンや照明さんやヘアメイクさんやカントクさんの存在を常に意識させる企画モノAV的鑑賞眼の持ち主である僕にしてみれば、AVも学生のラブコメwも、そのままメタフィクションの見本みたいなものじゃないですか(笑)

5回は言ったね「( ゚Д゚)そこ!!!メタフィクション禁止!」
メタフィクションの意を解する賢さをもった子たちだからこそ
使えるツッコミで、その点は先生もうれしいぞ(笑)

しかし若いってパワフルだね。
楽しかったので、うっかり終電逃して
タクシー代7800円…( ・ω・)マァイイカ

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2006年6月 2日 (金)

逆襲のシャア

DTP実習を終えたあと、とある学生さんから質問を受け、今日の文芸特殊講義IXの「ロボットが心や意識を持つというのはどういう状態を示すのか」というテーマについて、授業で語りきれなかったことを話していました。

話の流れから、彼女がかなり深いガンダムマニアであることが判明。
去年、僕の授業に「百式Tシャツ」を着てきたのは君だったのだな(笑

「『逆襲のシャア』のクェスはむかつきますよね」
と聞かれて、僕は反射的に
「うんむかつく」
と答え、
「ああ良かった。先生にクェス好きとか言われたらどうしようかと」
と安堵されたのですが……

帰宅してから、家に常備してある『逆襲のシャア』DVDをプレーヤに放りこみ
ひさしぶりに見返してみると……

好き嫌いが行動原理であるクェスのトラブルメーカーっぷりは
やっぱり神経にさわりますが、
ちょっと以前よりは余裕をもって見られるようになりました。

なんというか、クェスって、わがままを許された美しい少女特有の、
筋が通った純粋さを持ち合わせている気がするんですよ、
他人に自分を合わせることを学習すると消えてしまうたぐいの。

ただ、その「わがまま」を、両親が自分たちの不仲や放任してる後ろめたさの「代償」として許しているだけなのがクェスの不幸ですね。わがままだけど「天衣無縫」というには遠い感じがするのはそのせいでしょう。

そして、えてしてそういう人物は自分から向けた愛情には盲目で、対象であるシャアを困惑させますが、そこは女たらしっぷりが半端ないシャアですから、クェスもすっかり利用されてしまうという不幸が待ちかまえています。

シャア「世界は、人間のエゴ全部は飲み込めやしない」
アムロ「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる」
シャア「ならば、今すぐ愚民どもすべてに英知を授けてみせろ」

という序盤の名ゼリフ炸裂のもみあいのあと「貴様をやってからそうさせてもらう」というアムロに「あんたちょっとセコイよ」とシャアにひるがえったクェス。

このときのシャアの説得力はなかなかのものでしたが、ラストのシャアとの戦闘中の会話で、アムロにもシャアとは別種の洞察の鋭さがあると気づかされます。「ペットを飼うなら最後まで責任を持つ。面倒を見きれないペットに一瞬の同情で手を出さない」というのと似た哲学(我ながらひどいたとえだな)は正しい厳しさなのではないかと思うのです。

シャア「しかしこのあたたかさを持った人間が地球さえ破壊するんだ。それをわかるんだよ、アムロ」
アムロ「わかってるよ。だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ」
シャア「ふん、そういう男にしてはクェスに冷たかったな?」
アムロ「俺はマシーンじゃない。クェスの父親代わりなどできない。だからか。貴様はクェスをマシーンとして扱って」
シャア「そうか、クェスは父親を求めていたのか。それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」
アムロ「貴様ほどの男が、なんて器量の小さい」
シャア「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか」

いやぁ、やっぱりこれ名作だわー。
よくクェスみたいなキャラを作って
アムロとシャアのあいだに配置できるなぁ、と
つくづく富野由悠季監督の力量を思い知らされます。

『MUSASHI-GUN道-』なんかのネタアニメを祭るばかりじゃダメですね(汗)

・・・・・・

(追録)
翌日の土曜日、仕事のあとで恩師二人と江古田で飲んでいて、N先生から

「青木くんがなにかと僕に突っかかってきた時期があって
 そこでその妙な迫力にピンときて、
 僕はきみの父親じゃない、と怒鳴ったことがあったんですよ」

と、すっかり忘れていた昔話を聞かされてしまいました。
ああ、うん、あったなぁ、そんな時期。……なんというか第三次反抗期みたいなやつで、自分の息子でもないやつにやられたN先生は、アムロのような心境だったんでしょうか?

それにしても『逆襲のシャア』見返した翌日に……どういう偶然?(汗)

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2006年5月26日 (金)

ブレードランナーへの片想い

今日の文芸特殊講義IXは、先週から引き続き
『ブレードランナー』(1982年)を上映しつつ
本物そっくりなものが生む不安についての講義です。

いちおう初期公開版を見せておきたかったので
なつかしのレーザーディスクで、今日はちょうど裏返すところから。
映画配給会社の要求で、とってつけたようなラストシーンがある版です。

ディレクターズカット版では削除されたそのラストによって
「本当はデッカードもレプリカントなんじゃないか?」
という邪推を、受けつけやすくなっているのか、それとも逆なのか

もはや繰り返し見過ぎた僕には判断がつきません。

ただ、なぜレプリカントのロイが
敵であるデッカードを落下死から助けたのか?
それについてのデッカードの独白は、
カットされて正解でしょう。

「命が大切に思ったのだろう
 それが他人のものであれ」

そういうことじゃないな、と思うわけです、僕は。

講義でも話しましたが、

あそこにあるのは「片想い」の構造ですね。

デッカードは、社会を「見分けのつかないニセモノ」から守るために
レプリカントを「処分」します。
けっして「殺害」するわけではないのです。

レプリカントのロイは、仲間を殺された復讐として
圧倒的優位のうちにデッカードを殺さず、
指を折ったあと再び拳銃をその手に握らせ
ゲームのようにデッカードを泳がせます。

それは、デッカード(=人間)に
やるなら「人間を殺す」つもりで自分を殺してほしい
というロイ(=レプリカント)の願いではないでしょうか?
その自覚がデッカードのなかに芽生えるまでいたぶり続け

「恐怖の中で生きるのはどんな気分だ?」

と挑発的に問うロイ。
たぶんその言外にこめられているのは
人間もレプリカントもそれは同じだというメッセージでしょう。

ここで僕は気づくわけです。

ああ、これはまるで片想いだ、と。

相手を唯一のものとして強く恋い慕っていても
相手にとって自分はその他大勢の一人にすぎない。
文字通り、まったく相手にされていない。
二人が違う層の現実に立っているのが片想いというものです。
そこで、相手に振り向いてほしい、同じ層の現実に立脚してほしい
——と渇望すること。

まさしくこういう構造だと思うのです、
ラストの死闘に恋愛という要素はみじんも入っていませんけど。

余談ですが、
『ブレードランナー』の遠縁にあたる(かな?)『攻殻機動隊』が
バトーという孤独な男の片想いに終始するのも
もしかしたら無意識的オマージュなのかもしれませんね。

さて、

上映を終えて教室を明るくした時に
昨年度この授業をとっていたH川君とS藤君が
いつのまにか大教室の一番後ろに座っているのに気づきました。
( (・∀・)イイ!作品を出してくれたので二人ともA以上のS評価をつけたはず)

そして講義中
二人同時になんか小さく身振り手振りをしてるので、
(゚Д゚≡゚Д゚)エッナニナニ?と注視してみたら

( ・ω・)おまいら……

ハルヒダンスかよっ!
(♪BGM:「
ハレ晴レユカイ」

それはもしや、

 フィリップ・K・ディック
    
 現実崩壊不安

  ↓
 涼宮ハルヒの憂鬱

というアクロバティックな講義展開に持ち込んでください、という

ミステリックサインか(笑)

            ,ィュ-‐-、_
         /: : : : : : : : : :`ヽ
         /: : : : : : : : : : : : : : :ヽ
       イ : : : : ,ィ ./リ| ト、: : : : : ゝ
        !: :/: :,AZ__ |/' >r.、: :N
        !'ヽ: :! —-   ニ| .! .!ノ
         _人_l、u.   i .(ヾ| .! iヽ
    _,..-'´/:::::| ヽ 〜 ,.ネ、   ト、       
  r'´:::::::::::::く:::::::|  ノ` =く. .|::ヤ   .|:::`゙ー、
 /:!::::::::::::::::::/::::::.レ'^YニY/レ!:::ヽz='=i::::::::ヽ
/::::::!::::::::::::::::ヽ:::::::|  .〉-〈 /::::::〈:::::::::::::|:::::::::::!

……そこ、笑うところだぞ((C)キョン)

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2006年4月14日 (金)

授業開始・記憶と記録の話

関越自動車道・所沢インターへの誘導路脇に桜の林があって
一週間前に満開だった枝に、もう緑の若芽が混じりだしていました。
つまり天気に恵まれたので、
バイクで所沢に出校したというわけで——

さてさて、本年度最初の授業。文芸特殊講義IXです。

今日は授業選択のガイダンス的な意味もあるので、

パソコンやネットっていうのは、
 際限なく増えていく記録をうずもれさせないために
 生み出されたシステムなんだ

ということをかいつまんで話したつもりです。
もちろん芸術学部は、何かを総括して世界の全てが分かった気になるための場所ではないので、それをどう創作に結びつけるかという部分が大切なポイントです。

そこで、
うずもれる記憶、というテーマと
パソコンという道具により、かつては不可能だった個人製作が
アニメの領域でも可能になった現状をあわせて実感できる実例として、
ペイル・コクーン」を観てもらいました。

記録自体は真実でも
ありかを変えてしまうだけで
人々をだますための道具になってしまう——

その種の危うさや儚さが、
記憶の属性のひとつであることは否定できません。
そこを突くことに成功している作品のひとつだと思います。

作品を見せる前に、うずもれる記憶に対抗する手段としての検索エンジン・Googleと似た機能をネットの「こちら側」に実装している例として、Macのスマートフォルダを紹介したんですが、ちょっと上手く行かないうえに分かりづらいデモをしてしまいましたね(反省……家に帰ってからかなりヘコみました)

スマートフォルダの便利さと背中合わせの怖さは、
自分が入れなくても条件に合ったものが新たに発生したら、
(検索エンジンのクロールと同様に)
愚直に拾い集めて入れておいてくれることです。

なので、
一週間以内に変更した画像(ダウンロードしたり開いたりしたもの)
という条件で、スマートフォルダを実演して見せれば
もっとわかりやすかったかもしれません。

実用例を挙げてみます。
スマートフォルダはどこにでも作れるので、Mac使いの恋人がいる女性は、彼氏のMacの気づかれにくい場所に「画像・一週間以内」という条件でスマートフォルダを作ってみてください。

次に彼氏の家に行った時、
そのスマートフォルダの中に何が入っているかお楽しみ!

…って、マジでやらないでくださいね。冗談ですから。
世の中には知らないほうがいいことがたくさんあるのです(汗)

知らないほうがいいこと…といえば、こないだ芥川賞をとった絲山秋子の『沖で待つ』は、どちらかが先に死んだら、誰にも中を知られないように相手のパソコンのハードディスクを破壊する約束をしあう話でした。

それで、ふと個人的なことを思いだしたのですが、昔つきあっていた彼女のパソコンのハードディスクがよく異常をきたすというので、前もってバックアップをとってから、新しいハードディスクに交換してあげたことがありました。

僕はクソまじめに(あ、iPod用の曲データだけはもらったけど)彼女のバックアップ・データを作業完了後すぐさま完全消去したのですが——

それって逆に、

「なんだよ実用的データだけ欲しがって、
 私のメールとかのプライベートには全く興味もないのかよ!?」

とか思われてたかもなぁ、なんて、今になってかえりみたりするのですが

……まぁ、たいていそういうのは考えすぎってやつですよね〜(汗)   

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2006年4月13日 (木)

ゼーガペインとすぺるむ・さぴえんすの冒険

先週の第一話を観て「これを押井がやったら」という定型句というエントリを書くきっかけになった「ゼーガペイン」ですが、どうやら先週の僕の予想通りの世界観のようです。

仮想現実というと、いまだに
「マトリックス的な」という説明がキャッチーに通じてしまうわけですが、
案外SF小説では使い古された(良く言えば、歴史ある)アイテムでもあります。

そこで僕が今日のゼーガペイン2話を見終えたところで想起したのが
小松左京が1970年代に書いたSF小説
「すぺるむ・さぴえんすの冒険」
(短編集「ゴルディアスの結び目」に収録)でした。

太陽の異常で生命が維持できなくなった地球環境を脱出し、データ化した全人類と地球環境を携えて宇宙を彷徨う巨大な情報宇宙船。船内には「再生装置」によって幻出された街の環境がある。そこで一人だけ肉体をもった本物の人間として存在しているMr.A。彼は夢の中で超越的存在から、220億人の人類のデータを消去することと引き替えにした、ある取り引きをもちかけられる……

というストーリー(いまざっと読み返して書いてみました)なのですが、220億という数字以外はハッキリと覚えていました。それだけ鮮烈な小説だったのです。

そして、こりゃ、Mr.Aの「小間使い」を「メイド」に書き替えるだけで21世紀レベルで充分通じるよ、てゆーか小松作品を映像化するなら、詰め込みすぎで世紀の怪作になってしまった「さよならジュピター」より、こっちを映画化しとけばよかったのに——と思わずヒートアップしてしまいました。

そういえば「日本沈没」って、また映画化するんですよね。
小松御大の小説はスケールがでかすぎるので、
大作を映画化するのは、今の日本の技術をもってしてもヤバいような気が。

「すぺるむ・さぴえんすの冒険」ぐらいの
コンパクトにまとまった作品の方が絶対映像向きだって!

もちろん小間使いはメイド服で

……すいません小松先生。アホ発言でした(汗)

僕の手元にある「ゴルディアスの結び目」は中学生のころ(20年以上前ですな)買った角川文庫1980年版で、もう絶版ですが、運良くハルキ文庫で再刊されているので[→Amazon] 1970年代SFの輝きを知りたいという若い世代がいたら、忘れずチョイスしてほしい逸品です。

「岬にて」(宇宙船ではなく、ドラッグによるトリップで宇宙へ)
「ゴルディアスの結び目」(少女の性的虐待の傷がエルゴ領域化)
「すぺるむ・さぴえんすの冒険」
「あなろぐ・らゔ」

の4篇が収録作品です。それぞれ無関係な作品として読めるのに「すぺるむ・さぴえんすの冒険」で×××な運命を迎えた人間の情報の一部が「あなろぐ・らゔ」につながっているんだ、と気づいたときの「やられた」感といったら! ……いまだに呪縛ですよ。

そういえば個人製作アニメ「ペイル・コクーン」って、この2作品連続ネタの構造と、舞台は違えど「やろうとしていること」が似てるなぁ。もしかしたら吉浦さんも、かつて「ゴルディアスの結び目」に親しんだ人なのかも……とウェブサイトのプロフィールを見たら、僕より10歳も若いのか! これはカスってなさそうですね(汗)


えー、脱線しすぎたので話を「ゼーガペイン」に戻しまして
(と言いつつ、また日本のSF小説の話になるんですが)

神林長平の火星三部作「あなたの魂に安らぎあれ」「帝王の殻」「膚(はだえ)の下」を読了している人なら、きっと「ゼーガペイン」のオープニング&エンディングの画が味わい深く見られることと思います。

去年やっていた烏龍茶「極烏」のCMで、キムタクの身体が鳥に変化して飛び去っていき、着ていた服が中身を失って崩れ落ちるシーンは、「あなたの魂に安らぎあれ」を映像化したら、「あの」シーンはこうだろうなぁ、という美しさでしたが、ゼーガペインのオープニング&エンディングの登場人物の身体が無数の鳥や魚に分解して飛散するグラフィックスにも同じ印象を受けました。

これ以上書くと、
今度は神林長平の小説のほうのネタバレになるのでここまでにします。

ちなみにゼーガペインのオープニングテーマ曲
「キミヘ ムカウ ヒカリ」ですが
この歌詞、かなりネタバレ領域に踏み込んでますよね。

誰かが見ているビジュアル 
目の前の急な水がカラダを逆さに駆け巡る
今二人は出会った意味を想う
きっと誰かの記憶の中泳いでいるだけでも

君の背中、光の羽が空へ広がる
どんな場所もどんな過去さえも
唯一つの願いが乗り越えてゆくよ

誰も知らない世界にキミと居る
届かない言葉のかわりに黙り込む
そうして何度もキミに恋するだろう
遠い約束 闇を蹴って羽ばたいていく時まで

自分の生涯が初めて経験していくオリジナルの現実ではなく
記憶から再構成されたものだとすると、
きわめて内容に合致した歌詞。

エンディングテーマ「リトル グッド バイ」にも
「時が戻ったら 時が戻ったら 時が戻ったら」というリフレインや
「記憶の淵で時は繰り返す イメージを見た」という詞があり、
筋の通ったコンセプトが感じられますね。

そういったところも含めて、最近のアニメとは力点のズレた
心地よい古さがあるんですよ、このアニメ。
主人公も前向き体育会系だし、80年代の匂いがプンプン。
1970年生まれのオールドタイプである自分は視聴続行決定です(笑

さて、明日から日芸の新年度授業開始。

今年の授業開始日は金曜日ということで、
いきなり文芸特殊講義IXの講義が待ってます。
積極的にセカイの動きにシンクロさせていくのが身の上の授業なので
僕の持ちゴマの中でいちばん緊張する講義です。

うーむ。今年はどんなオープニングで行こうかな…

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2006年3月 8日 (水)

ピータンをつつきながら最終授業のメッセージを思いだす

昨晩は、大学院生のH口君・無事修論出せて進路(いちおう)決定を祝って、副手のKさんとともに江古田の台湾屋台村で乾杯しました。ちなみに僕がピータンという食物と初対面したのは、今を遡ること十数年前、この店でのことでした。今でも「どうして卵にそんな手を加えることを思いついたのか知らないけど、つくづく不思議な食べ物だよなぁ」と思います。卵の白身が「黒く透きとおったキレイなもの」に変化するなんて、それなんてミラクル?

僕らが飲みはじめてまもなく来店したサークルらしき集団のなかに、僕の授業をとっていた学生の顔が数人見えたので思いだしたのですが——

1月20日(金)文芸特殊講義IXの最終授業時、いろいろバッティングして江古田→所沢移動時間を考えると大幅に遅刻してしまうことが判明したため、僕は所沢で金曜日のTAをしているH口君に電話し、最後の授業時に受講者全員プレゼントとして僕の著書を用意してあったので置き場所を伝え「学生にまず本を配って、50分遅れるけど最後の全員講評はやりますと伝えておいてください」とお願いしました。

そのとき、H口君が粋なはからいをしていてくれたことを、僕は授業を終えて知ることになります。教卓の僕のところに次々とやってくる学生たちが、A4 の紙に一年間の授業の感想を書いて渡してくれたのです。

「あっ、H口君が気をきかせたな」と気づいたのですが、学科事務室に戻って本人に尋ねてみると、笑顔で「いやいや、学生たちが自主的にやったんですよ」とうそぶくところまで含めて、いいヤツだな、H口!と思ったのでした。

学生たちのメッセージも

「最初は正直ネタかと思うような変な授業だったけど最後まで引っぱり込まれました」とか、「じつは受講登録してないけど毎週出てました」という他学科の人とか、「来年ゼミとらせてください」というありがたい言葉とか、「先生に恋人がいないなんて世の中間違っている」という主張とか(笑)……

どの言葉も(苦言を含めて)講師一年生の僕をすごく勇気づけてくれました。
ありがとうございます。

出席をとらないのはひとつの挑戦だったので
ラストまでこれほど多くの出席者に恵まれて僕はラッキーでした。

……しかし、H口君もKさんも酒強すぎ。
おなじペースで飲んでたら、今朝は見事に二日酔いでしたよ(汗)
いかんいかん。

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2005年12月 2日 (金)

なりきりストーリーアナリストでバクれ!

忙殺でしばらくブログに向かっていなかったあいだに、文芸特殊講義IXでは後期課題、
「擬人化、あるいは、擬物化、という手法を用いてショートストーリー、エッセイなどの文章を一篇作成せよ。両方の手法を使用することも可とする」のヒントとなる話をしたり作品を見せたりしました。もう『ブレードランナー』って古典ですよね。

そして、今日は他人に読んでもらう作品を書くためのヒントとしての、「ストーリーアナリスト」についての講義をしました。ストーリーアナリストとは、有名無名のシナリオライターによって日々生産され続ける脚本を読んで「カバレッジ」という評価シートをつくる人のこと。ハリウッド特有の「原作探し」のための専門職なのですが、監督やプロデューサーには多数の脚本全てに目を通しているヒマがないので、客観的なシノプシス(あらすじ)やコメントをまとめたカバレッジは、映画化に値する魅力的な脚本を発見するための大きな助けになっているのです。

『ブレードランナー』と同じフィリップ・K・ディックの小説を原作とする『トータル・リコール』(原作小説『追憶売ります』)について実際に書かれた2例のカバレッジを配布し、映画を早送りしながら要所要所見せて、ハリウッドのシステムを体感してもらったのですが……

文芸学科的には、ストーリーアナリストのノウハウをどう活かすか?

ここで僕がまだ時間がたっぷりある学生の皆さんにお勧めしたいのが「模写」です。絵画やイラストの世界では日常的なトレーニングとして行われていることですが、意外と文章でこれを行っている人は少ない。なぜかというと、言葉というのはデジタルな記号なので、書き写した時に全く同じものができてしまう……言ってみればコピーだからです。「やっても意味がねぇよ」という気持ちが先に立ってしまい、結局真剣にやる気にならず挫折、というオチが非常によく理解できるのです。

ただ、ここでストーリーアナリストの仕事をはさんでやると、ちょっと違ってくるのですよ。

まず、自分の思いきり好きな作品、こんな作品が書けたらすごいなぁ、あるいは自分が考えていることを最高に上手く表現できたらこの作品のようになるのではないかと思える作品を一篇用意します。

そして、その作品のカバレッジを書いてみるのです。

ストーリーアナリストの実践の鉄則として
「本を見ながら書くのではなく、読後の記憶を頼りに書く」
というのがあります。記憶というのは主観なので「客観的評価」のためにあるストーリーアナリストの性格とは矛盾しているような気もしますが、映画を観るのも人間である以上、記憶に残らない部分を「あらすじ」に記してもきっとそこに本質は宿っていないでしょう。記憶を頼りに書く、とは、そういうことなのです。

さて、好きな作品を読み返したあと、記憶を頼りに実際にカバレッジを書いたら、自分にとってその作品のどの部分が魅力的だったのかが、以前よりハッキリと意識できるようになったと思います。それはキャラクターかもしれない、ストーリーのどんでん返しかもしれない、文体の雰囲気かもしれない。

こうしてその作品の本質がつかめたら、
発表しないことを前提に、
それを思いきりパクって、
同じ小説を書いてください!

新人賞に出したり投稿できない小説を書くのがもったいない、と思っちゃう人は逆にもったいない。自由なんです、思いきりパクって書く。パロディ同人誌的な自由さと似ていますが、あくまでも自分で書きたい理想の作品を、一度分析してからリライトするという行為の途中には、馴れ合いとは違う収穫があるはずです。こればっかりは頭で考えるだけじゃなく実際にやってみなければわからない、経験者だけが理解できる特権でしょう。

『トータル・リコール』を見せたあとで、(実際には一番この先どうなるの?というシーンで止めましたが(笑) 寺沢武一のコミック『コブラ』の第一話を見せました。『トータル・リコール』と同様にディックの『追憶売ります』を原作にしているかのような同じ展開。でも、これはパクリではなく、原作の分析とアレンジによって独自の再構築と再解釈が行われた、多重現実不安の古典・ディック作品への素敵なオマージュになっています。

というわけで、まとめ。

 好きな作品
  

 そのカバレッジを書く
  

 それを下敷きにしたリライト

これが文芸的「模写」です。
創作力当社比200パーセントアップ確実。マジおすすめ。

それから授業内でも紹介しましたが、ライトノベル作家をめざしている人は、一度MF文庫ライトノベル新人賞に応募してみてはいかがでしょう?。ここは切手つき返信用封筒を応募作に同封すれば、カバレッジほど詳細ではありませんが、評価シートを送ってくれます。これは単に面倒見が良いということではなく、メディアファクトリーがハリウッドのストーリーアナリストの手法を採用して新人賞選考を行っているということの現れですね。

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2005年10月28日 (金)

MATRIX 鏡のなかの鏡

今日の文芸特殊講義IXは、先週からの「模造記憶」がらみで、「MATRIX」→「アニマトリックス」→→ミヒャエル・エンデ「鏡のなかの鏡」への展開。

すべてがこだまとなって残ってしまうから、大きな声でしゃべれることができない空間に幽閉された者の「そのとき、ひとつだけ君にはわかるだろう。僕がすべてをうやうやしく保管してきたことは」という言葉に出会うためにも、ぜひ一度は読んでほしい本です——エンデの「鏡のなかの鏡」は。

大学のパソコンのメンテナンスをしていたらちょっと遅くなってしまったので、帰り道は高速道路へ。夏の灼熱地獄をようやくやり過ごして、ここのところ、バイクを走らせるのにうってつけの気温です。所沢から練馬までの一区間で二台も車が事故っていたので、今宵は満月か?と思ったんですが、どうやら三日月くらいの欠け方らしい(曇って見えないのでMacにインストールしてあるDianaという月齢表示ウィジェットで確認)

実際、満月の夜は事故が多いらしいですよ。やはり人間もこの天体に囲まれて進化してきた生物だから、満月——つまり太陽・地球・月が一直線に並ぶ時には、知らず知らずのうちにルナティックになっているんでしょうか?

明日は北海道時代の友人が東京来襲。しかし北方からではなく長期出張先の愛知から。愛知といえば、結局行かずじまいだったなぁ、愛・地球博。

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2005年10月23日 (日)

「模造記憶」と新クール突入

気がついてみれば最新エントリがひと月くらい前じゃないですか(汗)
ここのところどうも時間の流れが早くて一週間の体感速度が三日に圧縮されてるような気分です。天体の運行周期から月とか週とかの単位を発明した人は偉大ですね。この区切りがないと、多忙期にはホント無間地獄に落ちた気がします。とくに月の運行から切り離されている男の肉体の持ち主としては。

男はもっと短期的にムラムラくるからその周期に支配されてるだろ…って
その手の性欲が男だけのもの、っていうのは迷信だよね。
最近枯れてるよな自分。おい大丈夫か男35歳(苦笑

そういえば一昨日(10/21金)受講者全員分の講評をした文芸特殊講義IX課題「模造記憶」をテーマに書く——を受け取ったとき、学生証番号順に並べて読み始めた最初の作品が、アダルトショップで出会った怪しい夢精マシーン「リリス」に手を出してしまった男の話でした。

リリスといえばアダムの最初の妻で、エロすぎたんでエデンの園から追放され、アダムには彼自身の肋骨から作られた従順な妻イブが与えられたわけですが(話の中で直接この神話を引用するような無粋なマネをしない書き手はグッジョブです。小説書きってのは全部説明してしまいたいという衝動に対してストイックにならなきゃいけません)。リリスというデバイスを使い、神話のように自分の分身イブと恋愛(という名の自慰)を続けることを選択した者には、けっして「他者としての」恋人と出会うことは出来ないという書き手の諦念があらわれているような、非常にあけすけな良作でした。

はるかな昔、僕が小学生時代に読んだ性教育漫画で「夢精は男の子の生理」みたいな扱いをしていたものがあって、けっこうその情報にしばられて「うっかり修学旅行で夢精したらどうしよう」とか不安でガクガクブルブルしていた時期があったんですが、実際これだけ情報過多な時代だと「オナニーとセックス以外で射精をしたことがないよ派」つまり、最初から自慰行為をおぼえていたよ派の人が多いんじゃないでしょうか? かくいう僕もそっち派で、経験しえぬ「夢精」という幻に憧れて、昔ちょっと相当がんばって何週間も禁欲生活をしたことがありますが(笑)、たまれば夢精するっていう、そういうもんでもないらしい。というわけで夢精マシン「リリス」がホントにあったらぜひ使ってみたいです。

朝っぱらから何書いてんだ。アホか

……マジメな話に戻しまして(汗) 僕は十数年前の学生時代、講義もので課題レポートを提出しても反応が成績表のABCだけじゃ張り合いが無いよなぁと感じてました。レポート返却時に講評を書いてくれる先生はいましたけど、他の人がどんなものを書いたのかって気になるじゃないですか。だから自分が講義をする立場になったら、全員分の講評をプリントにして配るくらいのことはしたいなぁ、と考えていました。

文芸学科には1年次からゼミがあるので、その機能はゼミが果たしている部分はあるけれど、講義ものだって最低限フィードバックがあっていいんじゃないの?と、今回初挑戦したわけです。講評……しかも、ただの評価ではなくてどんなレポートなのか概略も分かるように書くにはもう一度読み直さなくてはならなくて、思ったより難儀しました。講師一年生だし、ノウハウを積み上げなくちゃ、とそれなりに必死な感じ。でも、すごく良い作品に仕上げてくる学生がいるのでこちらもやる気パルスが同調してテンションがあがりますよ。今回の「模造記憶」ベスト3は、MYさんの「I・G 〜僕らの気晴らし〜」、YY君の「人限の条件」、最初に紹介したHK君の「リリスの悪戯」ですね。技術やセンスを感じられる学生と出会うと、こんどはどんなテーマでそれを引きずりだしてやろうかと頭をひねる回転数も上がろうというものです。

と、学生を鼓舞するばっかじゃなく、今日中に自分の原稿も書かなきゃならんのでした。それも複数(汗) あーもうバイクで信州まで蕎麦食いに走りたい、というイケない衝動を抑えるために「よし、朝っぱらから酒飲んでしまえばバイクの運転ができないぞ」とビール飲んで、結局昼寝してしまうとか、巧妙な二段スライド方式の逃避をするダメ人間な自分が分かっているので、今日は外に出ないことにします!運良く冷蔵庫のビールも切れたし。

ちなみに30で禁煙に成功した僕の方法を教えましょう。
「タバコを買わない」
これだけです。結局はコスト(手間)の問題なんですよ。いかにDIY精神にあふれた人でも、タバコを育てて葉を乾燥させて…なんて面倒くさくてやる気がしないでしょう(注・それ以前に違法です)。ならば「買わない」で完璧。つまり、買っても吸わない、なんて人間にはムリだってことです。買った時点で失敗。ビールも。というわけで、今日の僕は引きこもりです。

引きこもりだからアニメを観るくらい許してくれよぅ、と朝7時から3クール目に突入した『交響詩篇エウレカセブン』をリアルタイムで視聴。

オープニングテーマが変わった! ビバッチェっすか!? しかし……ビバッチェってRSRでライブ観たときは格好良かったけど、こう、アニメを背景に歌だけ聴くと正直……いや、かなりショボくないですか?(ファンの方すいません) というか、音楽に画を合わせようという意志がないように思えるんですが、もしかして「歌詞」と合わせようって試み?

ヤバイ。それ失敗してます。

今日の本編は一行で要約すると
1stガンダムでランバラルが散る「死闘!ホワイト・ベース」です。
いや、ちゃんとオマージュとして認めますよ、パクりじゃなく。
来週はハモンさん……じゃなくてレイが逆襲にくるんだろうな、と(笑)

もちろんエンディングも新しいのに変わってるんですよね。不安。

……は、ハルカリですか。あのダルい女ラップですか
はぁ……朝食にベーコン食いたくなりましたよ(ワラ

買い物に行ってくるか(引きこもり宣言は!?)

-------------------13:55追記------------------------

パスタを茹でて昼食をとり、納得のいかなかったエウレカセブンの新オープニングの録画を五回見直しました。このひどさはビバッチェにはまったく責任がないですね。雰囲気の似たところでイースタンユースが歌ってたって、あの……あのラストのキメの止め絵のひどさの前にはすべてが台無しですよ! 止め絵一枚に時間や人材を一人割く余裕もなかったんでしょうか?……放映2時間前にようやく間に合いました、ってくらいの雑な絵。正直、僕が(某バイク雑誌のために二ヵ月に渡ってエヴァンゲリオンのパロディ漫画を描いていたという恥ずかしい過去を曝してでも)時間がないなら無給で手伝わせてください!これよりなんぼかマシな絵を描きます!と志願したいくらいの——と言えばわかってもらえそうなレベルのダメさです。来週には何もなかったかのように描き直した絵と差し替えられていることを切に願います……

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2005年7月25日 (月)

久々に受けるほうの講義

しかも朝から晩まで。

全日大の「平成17年度新規採用大学教員研修」が、本日、市ケ谷の日本大学会館で行われる。今年から先生になった人が受けなきゃならない研修である。総長の講和に始まり、弁護士の先生のセクハラ防止の講義などなどがあるらしい。睡眠時間にしてしまわないようがんばってこよう(汗)

そして、帰りに体力が残っていたら、映画『アイランド』を観てこようかなと思う。文芸特殊講義IXの前期課題にした「模造記憶」に関連しそうな作品だと思うけど、このストーリーって、安部公房の大昔の作品にそっくりなの(だれもが行きたがる一生不自由なく暮らせる楽園とうたわれているところへ潜入したら、じつは入所した人が食肉にされてしまう場所だったというオチの短編)があったよなぁ(タイトル忘れた。あとで調べよう)。『アイランド』では食肉が移植用臓器になっただけで、大枠は同じような気が……

まぁ、体力が残っていたらこの目で確認してきます。

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2005年5月18日 (水)

別れ話の情報量

ゴールデンウィーク前に「文芸特殊講義IX」の授業内で
「20世紀の発明で、自分にとって最も意義深いものを一つ挙げ、
(1)その登場によって人がどう変わったか? 
(2)その発明の、一般に知られている使い方とは違う利用法を考えよ」
というミニレポートを出した。

やはり20世紀の発明品ともなると用途に合わせて最適化が進みすぎ、車輪やナイフのようにさまざまな応用が容易に考えられるツールではなくなってしまう。そのぶん一般に知られている使い方とは違う利用法を考えよ、という課題は学生を悩ませたと思う。

古くからあるシンプルなツールの利用法ということで言えば、村上春樹の『世界の終わりと